2022.7.28 ITトレンド全般 InfoCom T&S World Trend Report

ユーザーインターフェースの未来

Gerd Altmann from Pixabay

コンピューターが一般に普及し始めて数十年が経過し、ムーアの法則で言われるように、性能は当初からは想像できなかったほどのレベルに進化した。しかしながら、登場のころから大きく変わっていないものもある。キーボードを使った情報入力だ。有線接続が無線接続になるなど、キーボード自体の進化はあるが、打鍵して文字・数字情報を入力する、という基本的な仕組みは変わっていない。指を使って情報を入力するという点では、PCだけではなく、スマートフォンでも同様だ。そして、IoTやxRの利用が進むにつれて、文字・数字情報以外の情報をPCやスマホなどに入力する仕組みも大きく進化した。マウスもその一種と言えるが、人の動作や声、各種センサーによって収集された情報が取り込まれることで、利便性の著しい向上に寄与していると言えるだろう。

一方で、キーボードに代わる入力装置として大きく進化してきたのが音声認識による入力だ。Windowsも95から音声APIを搭載し始め、1990年代から、本格的な音声認識ソフトも登場するようになった。Windowsは、2006年のVistaからOSとして音声認識の機能を持たせ、Windows 10では音声でのアプリケーションの制御も含めかなり便利に使えるようになっている。スマートフォンでも、iPhoneが2011年からSiriを、Googleも2012年から音声を使った検索サービスを開始する一方、NTTドコモも音声認識技術を使ったエージェントサービスを2012年から始めるなど、音声で情報入力(出力)することが徐々に一般的になってきた。さらに、音声インターフェースに特化したIT機器とも言えるスマートスピーカーが登場し、人間とコンピューターやIT機器のインターフェースは変わりつつある。欧米各国や中国では、スマートスピーカーもかなり普及し、特に米国では最近は成長率が鈍化しつつあるものの、既に約9,500万人が少なくとも1台のスマートスピーカーを設置し、その半数が日常的に利用している、という調査[1]もある。

しかしながら、現実は冒頭に記したとおり、キーボードなくしてPCを使った業務はできず、スマートフォンも指を使って入力しているケースがほとんどだ。音声認識による入力は、あくまでキーボードの補助として、もしくは、体の不自由な人に利用されていて、キーボードを使わずに音声だけでPCを操作するケースは多くはないだろう。日本のスマートスピーカーの普及率も10%台[2]で、比較的導入障壁の低いと思われる音声インターフェース機器も、世界で広くあまねく利用されるような状況はまだ先のようだ。

そうした中、BCI(Brain Computer Interface)と呼ばれる、脳波等を直接読み取ってコンピューターに入力させる仕組みの研究が進んでいる。BCIは、脳を含めた人の神経系を電気工学などの技術を連携させてより高度に理解、活用しようとするニューロテクノロジーの一種だが、ニューロテクノロジー全体では、全世界で既に1兆円を超える規模の市場となっていて、今後数年でさらに拡大すると見込まれている。BCIはニューロテクノロジーにおいてもコアな技術で、主として電極やセンサーを直接体内に埋め込む侵襲型と、身体を傷つけることなく、体の外から状態を検知する非侵襲型の2種類に分類され、非侵襲型を中心に数多くのスタートアップが様々な研究や商品開発を進めている。

侵襲型で最も有名なのは、2017年にイーロン・マスク氏が始めたニューラリンクだろう。2021年にLinkというデバイスを脳に埋め込んだPagerという名前のサルが、手足を使わず考えるだけで画面上の点を移動させたりピンポンゲーム(MindPongと呼んでいる)をしたりする動画が公開されて話題となった。過去にもサルの脳に電極をつなげて同じような実験がされていたが、MindPongは、2,048チャネルものデータを収集し超小型の発信機からブルートゥースで通信して短時間でデータ解析をするという点で画期的で、実際Pagerの頭には何の機器もついていないように見える。ニューラリンクが目指しているのは、単なるBCIではないのは明らかだ。イーロン・マスク氏は、ニューラリンクのプロジェクトは彼が取り組む多くのプロジェクトの中でも最重要なものとなりうると評価しており、このプロジェクトで集められた知見をベースに、将来的には例えばTesra BotのAIに人工脳を構築したり、人間の脳活動データを取り込むことで、“人格”をダウンロードし記録したりすることもできるようになると、インタビューで答えている。

侵襲型はセンサーや電極を埋め込むために身体を傷つけるという点で、心理的な抵抗もあり、一般の人に広くインターフェースとして利用されるようになるには時間もかかるだろう。一方、侵襲型と比べると非侵襲型でできることは限られているが、非侵襲型の技術開発も著しい。Kernel社は、2016年にブライアン・ジョンソン氏によって設立され、光ポンピング磁力計による脳磁図の解析を行うFluxという機器と、近赤外線レーザーによって脳内の酸素消費を計測し、その活動を解析するFlowという機器を開発している。日本でも、大阪大学の関谷毅教授が開発した小型のパッチ式脳波計で収集した脳波データをAI解析することで脳の活動を可視化する取り組みが進められている。

現在は、BCIは麻痺や四肢切断などの障がいを持った人が、コンピューターやロボットなどの機器を制御する目的で開発されており、障がいのない者がコンピューターやスマートフォンの入力のためのインターフェースとして利用できるようになるには、それなりに時間がかかると見込まれている。急速に技術は進歩しているものの、まだ解決しなければならない技術的課題は多く、加えて壁となるのは規制や倫理的な面だろう。侵襲型のデバイスは脳に直接埋め込むこともあって、例えば米国ではFDA(米国食品医薬品局)でも最もハードルの高いレベルの認可が必要となっている。また、健康な人の身体を傷つけるリスクがあるという点や、取得した脳の活動データを第三者が取得する、もしくは、デバイスを通じて外から脳の活動をコントロールするようなことができるようになる可能性も想定すると、倫理的にどこまで許容されるかという議論が必須となってくるだろう。当然だが、倫理観は国によって異なり、ある国では倫理的に受け入れられない行為が、別の国では問題ないとすると、そうした国では倫理的障壁なく技術開発が進められ技術開発で差をつけられることにもなりうる。2021年5月、FDAは侵襲型BCIデバイスの患者への適用のための治験用機器免除(IDE)取得プロセスに関する”Leap-frog Guidance”(FDAが製品開発の早い段階において、公衆衛生上重要である可能性が高い新興技術に関して当初の考えを共有する新しい仕組み)を公表した。これは、それまで多くの規制と認可のプロセスに阻まれて速やかな技術開発に支障が生じていた状況を改善するもので、BCIの開発で先頭を走る米国が、他国に後れを取らないようにするための策とも言えるだろう。

現在、世界中のニューロテクノロジーの技術者や関心のある人たちが集結するコミュニティがオンライン上にあり[3]、様々な議論や情報共有がされているが、日本企業や日本人の研究者はほとんど目立たない。イーロン・マスク氏が言うように、脳とAIが直接つながる日は必ずやってくるだろう。日本でも、世界を牽引する次世代のインターフェース技術が開発されることを期待してやまない。

[1] The Rise and Stall of the U.S. Smart Speaker Market – New Report https://voicebot.ai/2022/03/02/the-rise-and-stall-of-the-u-s-smart-speaker-market-new-report/

[2] Smart speaker household penetration rate in Japan 2020-2026, Statista

[3] https://neurotechx.com/

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部無料で公開しているものです。



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