2024.6.27 ITトレンド全般 InfoCom T&S World Trend Report

深刻化するカスハラ 今、何が必要か?

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ハラスメントという概念や言葉がわが国で社会一般に広く知られ、使われるようになったのは1980年代後半頃からだろうか。セクシャルハラスメント(セクハラ)、パワーハラスメント(パワハラ)などは、不適切な行為としての認識が社会に定着して久しい。ハラスメントとされる行為は数多くあるが、消費者の権利意識の高まりや相次ぐ不祥事の発生に伴う企業への不信感の増大、さらにはSNS等で情報が瞬時に広く拡散する「ネット社会」の特性などを背景に、近年、特に深刻な社会問題として注目されているのがカスタマーハラスメント(カスハラ)だ。

カスハラとはどのような行為なのだろうか? 厚生労働省は企業や業界によって顧客などへの対応方法や基準が異なることからカスハラを明確に定義することはできないとしながらも、企業向けマニュアル[1]で「顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」がカスハラと考えられているとしている。要求の内容が妥当か、クレームなどの手段が社会通念上不相当なものかどうかを総合的に勘案して判断すべきということだ。また、要求内容の妥当性にかかわらず不相当とされる可能性が高い行為として、身体的な攻撃(暴行、傷害)、精神的な攻撃(脅迫、中傷、名誉棄損等)、威圧的な言動、土下座の要求、差別的な言動などを挙げている。良識ある多くの人が納得する内容だろう。

最近の厚生労働省の調査[2]によると、過去3年間にハラスメントの相談があった企業のうち「顧客等からの著しい迷惑行為」に該当する事案があったとする企業の割合は約28%に上る。また、様々なハラスメントのうちカスハラのみ「件数が増加している」の割合が「減少している」の割合よりも高く、増加傾向にある。業種別では「医療、福祉」、「宿泊業、飲食サービス業」、「不動産業、物品賃貸業」で多く発生している。

カスハラは放置すれば業務パフォーマンスの低下や心身の不調といった従業員への影響はもちろんのこと、企業経営の面においても業務上の支障や時間的・経済的損失、ブランドイメージの低下といったマイナスの影響をもたらすものである。一方で、実効性のあるカスハラ対策を進めることにより、従業員の働きやすさや業務効率の向上、企業に対する信頼やブランドイメージの向上といったプラスの効果も期待できる。カスハラ対策は企業と従業員の両方を守るものであり、カスハラを重要な経営課題と位置付け、対策を講じることが企業には求められる。

厚生労働省は前述のマニュアルの中で、講じるべき具体的な取り組みを挙げている。大枠としては①事業主の基本方針・基本姿勢の明確化、従業員への周知・啓発、②従業員(被害者)のための相談対応体制の整備、③対応方法、手順の策定、④社内対応ルールの従業員等への教育・研修、⑤事実関係の正確な確認と事案への対応、⑥従業員への配慮の措置、⑦再発防止のための取組、⑧①~⑦までの措置と併せて講ずべき措置、である。各社の経営方針や事業内容、職場の実情などに応じた対策を検討するに当たり活用すると有効だろう。

ところで、こうした取り組みに関する法的枠組みはどうなっているのであろうか? 現在、カスハラに関する法律上の定義はない。セクハラは男女雇用機会均等法により、パワハラは労働施策総合推進法により定義され、事業主に相談体制の整備などが義務付けられているが、カスハラはまだ法律に基づき企業が対応すべき対象とは位置付けられていない。企業にカスハラ対策を義務付ける法律はないが、使用者は労働者に対する安全配慮義務を負っている。カスハラに対して適切な対応を取らなかった場合、従業員から損害賠償責任などを問われる可能性がある。裁判になった例はまだ多いとはいえないが、カスハラへの対応を巡り従業員が企業を訴えた裁判例[3]も既に複数ある。企業はこうした重大なビジネスリスクをもたらす可能性があるものとしてカスハラを捉え、対策を講じる必要がある。

現在、厚生労働省のマニュアルに記載されている対策を講じている企業が多いが、最先端のテクノロジーをカスハラ対策に生かそうとする取り組みもある。大学と共同でコールセンターでの電話応対にAI(人工知能)を活用し、最先端の感情認識・音声加工技術を用いることにより顧客の音声を穏やかなトーンに変換してオペレーターに届ける技術の研究開発・検証の取り組み[4]だ。最先端の技術により社会課題の解決を図る興味深い取り組みであり、どのような効果や知見が得られるのかといった検証結果や今後の展開を注視したい。テクノロジーの進化に伴い、AIなどの最先端の技術を活用して従業員を守る新たな仕組みを採り入れる企業は今後増えていくだろう。

さて、ここで今後カスハラにどう対応していくことが必要か考えてみたい。わが国においては「お客様は神様です」というフレーズがかつて人口に膾炙したように、「顧客第一」という意識が諸外国に比べ高く、企業は苦情・クレームにも真摯に対応する傾向にある。苦情・クレームは消費者などが商品やサービス、接客品質などに対する不満などを訴えるものであり、それ自体に問題がある訳ではない。企業にとっては商品やサービスなどの品質改善につながるチャンスとなる場合もある。しかし、カスハラと呼ばれる行為はこうしたものとは異質な、理不尽かつ悪質な行為である。カスハラに類する行為は傷害罪、暴行罪、脅迫罪、名誉棄損罪などに抵触する可能性もある。苦情・クレームとは異質で悪質な行為から従業員や企業を守っていくためには、カスハラへの対応を苦情・クレームとは別のものとして位置付けるべきではないだろうか。

こうした考えに基づき、カスハラ客には顧客としての対応をせず毅然とした姿勢で臨むことを宣言する企業も増えている。例えば、JR東日本、JR西日本はカスハラに関する方針を公表し、カスハラが行われた場合には利用客への対応はしないとしている。また、悪質な行為などには警察や弁護士等と連携し、厳正に対処するともしている。大手企業がこうした方針を明確に打ち出したことは、産業界全体の取り組みやカスハラ撲滅に向けた世論形成を後押しするものであり歓迎したい。

カスハラは行為者が顧客や取引先などであり、ことの性質上、企業が毅然とした対処がしづらい。また、カスハラの定義や判断基準も各社の独自判断に委ねられており、多くの企業が社会や顧客の理解を得られるかどうか悩みながら対応を模索しているのが実状だ。カスハラが深刻度を増している現状を踏まえれば、消費者として正当な苦情・クレームとカスハラを線引きする根拠などを法整備により明確化し、企業が自信を持って対応できる環境を社会全体で整備する必要があるのではなかろうか。そのうえで、業種、企業、現場毎にカスタマイズした対策を進めていけば、取り組みの実効性はより高まるだろう。法律や心理学などの専門家も交えて、企業防衛の観点のみならず消費者の権利の尊重なども含めた幅広い論点を整理し、法整備が迅速に進められることを期待したい。

なお、一部では既に法整備が進み始めている。旅館業法は行き倒れを防ぐ目的などから、宿泊拒否を原則禁止していた。しかし、コロナ禍で見直しを求める声が浮上し、2023年の旅館業法改正で旅館業の営業者は迷惑客の宿泊を拒否できるようになった。一方で、拒否の基準が明確でないことなどから、実際に迷惑客の宿泊を拒否した施設はまだ少ないと言われている。拒否できる基準の明確化などのルール作りが急務だ。

政治の世界においても今年5月に自由民主党のプロジェクトチームがカスハラ対策強化の提言案をまとめ、岸田総理に提出している。その中で「就業環境が害されないよう雇用管理上の必要な措置を義務付ける法整備なども念頭に労働者保護対策を強化することが必要だ」と、企業に従業員の保護を義務付ける法整備に言及している。岸田首相は「重く受け止める。政府の対策に生かしたい」と述べたと報じられている。

厚生労働省は同党からの提言を受け、6月にもまとめる「経済財政運営と改革の基本方針」(いわゆる骨太の方針)にカスハラ対策を反映することを目指している。また、労働施策総合推進法にカスハラ対策を盛り込むことを視野に論点整理も進めている。さらには、自治体においても東京都や北海道が条例制定に向けて具体的な検討に入っている。東京都は今秋の条例案の提出を目指すという。政府・中央省庁だけでなく、自治体が「カスハラは許さない」という姿勢を明確に打ち出していることも評価したい。

時代や価値観の変化とともにハラスメントとされる行為も変わる。セクハラ・パワハラも長年にわたり社会全体で啓発活動や法整備などが進められてきた結果、今では当たり前のように不適切な行為と認識されるようになっている。カスハラも国民への啓発活動に官民挙げて一層取り組むことが必要だ。カスハラ対策は従業員、企業、顧客、そして社会全体にとってプラスになることを、企業だけでなく広く社会の共通認識とすることも重要だ。社会全体でカスハラ撲滅のための実効性ある取り組みが進められ、誰もが安心して働くことができる「カスハラのない社会」が一日も早く到来することを期待したい。

[1] 厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」(2022年2月)https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000915233.pdf

[2] 厚生労働省「職場のハラスメントに関する実態調査 報告書」(令和6年3月)https://www.mhlw.go.jp/content/11910000/001256082.pdf

[3] 東京地裁平成30年11月2日判決(判例秘書 L07330691)

[4] ソフトバンク株式会社「カスタマーハラスメントに関する考え方の策定について」プレスリリース(2024年5月15日) https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2024/20240515_01/

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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