梨の生産におけるICT活用の現状と未来展望

1.はじめに
日本の農業において、少子高齢化や人口減少が進む中で生産性向上や効率化が求められている。特に、野菜と比べて栽培期間と収穫サイクルに長い期間が必要となる果樹栽培においては、高い品質を維持しながら生産コストを抑え、需要に応じた生産量を確保することが喫緊の課題となっている。
しかし、従来の農業技術の踏襲だけでは、少ない人数でムリ・ムダ・ムラをすべて解消することは困難であり、その限界を迎えつつある。そこで注目されているのが、ICT(情報通信技術)の活用である。ICTの導入により、生産現場における効率化や精密な管理を可能とし、持続可能な農業を実現することが期待されている。
本稿では、高齢化や人口減少、耕作放棄地の増加をはじめとする農業分野の課題先進エリアである鳥取県を例として取り上げ、地域の特産物である梨の生産現場におけるICT活用事例への評価および今後の展望について考察する。
2.背景
2.1.鳥取県の梨生産を取り巻く環境
2023年、鳥取県の日本なし収穫量は11,700tで全国5位となっている。就農者の高齢化や後継者不足に起因して、2001年の全国1位を最後として下落を続けている現状である[1]。
鳥取県は、2017年に「未来へつなぐ とっとり梨生産振興プラン」を策定(2019年一部改訂)し、販売額増加を目指しているが、栽培戸数および栽培面積は減少が続く見込みとなっている(図1)。

【図1】鳥取県の梨栽培面積、栽培戸数、販売額の将来見込み
(出典:鳥取県「未来へつなぐ とっとり梨生産振興プラン」(2020年2月)をもとに筆者作成 https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1196141/nashiplan-all.pdf)
2.2.ICT活用の必要性
梨の生産工程は、非常に多くの手間と専門知識を要するため、農家は長年にわたり経験と勘を頼りに栽培を行ってきた。しかし、昨今の異常気象や病害虫の発生リスクの高まりにより、これまでの方法だけでは対応が難しくなっている。
ICTの導入は、こうした課題に対する解決策の一つとして考えられており、生産工程の効率化とデータ駆動型のアプローチによる技術継承および生産物の高付加価値化に期待が寄せられている。
3.本稿の目的・位置づけ/アウトライン
本稿の目的と位置づけ、アウトラインを記すと以下のとおりとなる。
3.1 目的・位置づけ
本稿では梨の生産におけるICTの具体的な活用方法を評価し、それが生産の効率化や品質向上、技術継承にどのように寄与するかを分析する。また、現場での実際の取り組みとその成果をもとに、今後の課題や改善点を提示し、スマート農業の普及/発展に寄与することを目指す。
3.2.アウトライン
まず、鳥取県で梨を生産する農家へのインタビュー調査を実施し、現場課題を収集し、分類する。
次に、県の東部エリアおよび中部エリアでの実証実験で対象としたICTソリューションの技術仕様等や導入結果とその評価を明らかにする。
最後に、上記実証実験の結果を踏まえて、梨の生産におけるICT活用の今後についての提言を行う。
4.梨生産における現場課題
農家へのインタビューにより、梨の生産分野における課題を下記の4つに分類した。
4.1.課題1:定性的な観察からの脱却
農薬散布のタイミングや各種栽培工程の実施判断、果実の生育状況把握については、過去の経験や勘に基づいた定性的な観察となっており、同じエリア、同じ品種の栽培においても農家によって判断基準が異なっている。また、「経験と勘」の蓄積がなされていないため、新規就農者の参入の障壁となってしまっている。
4.2.課題2:情報のリアルタイム性と予測精度の向上
温暖化が進む現代において、現行の技術だけでは生育状況のリアルタイム把握や精度の高い予測には限界がある。また、特に収穫量に直結する黒星病[2]の発生については、病気が発生しないよう農薬の散布回数を増やす、または、発生後の手作業による葉や芽の摘み取りでの対策が主となっており、適切なリスク管理が求められている。
4.3.課題3:データの管理/分析方法の確立
各種栽培工程の実施判断は、気温/湿度/風速・風向/天気などを考慮して行われるが、これらの情報が個別に管理され、統合的に活用されていない現状がある。例えば、気温と湿度の情報入手先サイトと風速・風向の情報入手先サイトが異なっていることで、各種サイトを行き来する手間が生じてしまっている。異なるデータソースを一元管理し、視覚化するプラットフォームが求められている。
4.4.課題4:栽培工程の省力化、費用低減、技術導入の障壁解消
梨生産は、野菜や他の果樹栽培と比較して手間が多くかかる。また、水はけを考慮して傾斜地に圃場を構えている農家も多いため、この先、高齢化が加速することを考慮して多くの工程で省力化が求められている。また、直接稼働にかかるコスト以外の面では、農薬の高騰や技術・機器を新たに導入する際の費用の高騰が、特に小規模経営を行っている農家にとって離農/廃農を検討する原因になってしまっている。
5.実証実験におけるICT活用とその評価
上記課題に対応するため、鳥取県では、地域商社を中心として2019~21年に東部エリアにてICT活用の実証実験を行った。また、2023年から2カ年の計画で、NTT西日本を幹事企業として産官学金連携でコンソーシアムを発足させて、県の中部エリアにて社会実証に向けた実証実験が進行中である。ここでは、実証で検証されたICT技術を取り上げてその評価を明らかにする(図2)。

【図2】2019年~24年に実施された実証実験の目的および対応するICT技術
(出典:NTT西日本「鳥取県中部地区におけるスマート農業社会実装に向けた共同実証の開始について」(2023年3月)https://www.ntt-west.co.jp/newscms/tottori/12771/tottori_n20230303a.pdfおよび関係者インタビューをもとに筆者作成)
5.1.IoT気象センサー
IoT気象センサーを活用すると、圃場内に設置したセンサーが気温、湿度、降雨量、風速などの気象データを取得しクラウドに送信することで、手元のスマートフォンやパソコンからリアルタイムかつ精緻な気象データが閲覧できる。
2023年の鳥取県中部エリアで実施した実証実験では、センサーを設置した圃場と気象台のある市街地の気温(通常、農家はネットニュースやテレビの天気予報よりこちらの情報を参考とする)を比較すると、1日平均気温で1.1℃、最大で5℃強の乖離が見られた。
IoT気象センサーの導入により、急激な気温変化による霜害への事前対策など、天候に起因するリスクに即応し、果実への被害を最小限に抑えることができるようになる。
5.2.病害虫予察システム
農薬散布作業をナビゲートすることで、適期・的確な防除を可能にする梨の病害防除支援アプリとして病害虫予察システムがある。これは気象条件(気温/湿度)と過去の病害虫発生データに基づく独自のアルゴリズムによって、被害リスクを事前に通知するものだ。
2023年から鳥取県中部エリアで実施中の実証実験では、IoTセンサーとの連動により、気象条件が一定の閾値を超えた際に農家が警報を受け取ることができるため、農薬散布のタイミングを最適化することで黒星病被害の予防を目指した。実証期間が、2025年3月までの2カ年であり、その効果については検証中だが、同システムを本格導入した2024年度は前年度比で黒星病発生率に低減の傾向がみられた。
また、同システムにより農薬の使用量を削減し、農作物の品質向上と環境負荷の軽減が可能となることも期待されている。
5.3.屋外監視カメラ
圃場内外の安全管理と作物の成長状況の監視を目的として、屋外監視カメラを圃場の複数箇所に設置すれば、リアルタイムでの映像監視が可能だ。これにより、不正侵入の防止や鳥獣による作物への被害を未然に防ぐ。
2019~21年の2カ年で実施された鳥取県東部エリアの実証実験では、「(遠隔地の)自宅からもスマートフォンやパソコンで圃場の状態を確認できるため、夜間や悪天候時に圃場へ出向き行っていた現地確認作業の省力化につながった」という評価であった。
5.4.出荷/経営シミュレーション
最適な出荷時期や経営戦略の支援に向けてはICTを活用した出荷/経営シミュレーションシステムがある。梨の生育状況や市場の需要予測を踏まえて出荷時期を最適化し、収益を最大化するサポートを行うことが可能だ。
また、シミュレーションによって資材や労働力の効率的な管理を実現し、経営の安定化を図ることもできる。農家はこれにより、収益性の向上と無駄のない資源管理を行い、持続可能な農業経営を目指すことが可能となる。
2019~21年の2カ年で実施された鳥取県東部エリアの実証実験で同システムを使用した谷上農園[3]では「JA出荷に加えて自社ECサイトやふるさと納税など、複数の出荷先と価格を自由選択できるようになり、例年比で販売額が約50%増となった」、「法人化する、圃場を増やす、新規品種を導入する等の事業拡大に必要な要素を確認できることで経営計画が立てやすくなった」という評価であった。
5.5.スマートグラス
作業中にリアルタイムで必要な情報を確認できるウェアラブルデバイスとして有効活用が期待されるものがスマートグラスだ。手を使わずに作業指示や気象情報、病害虫発生予測を確認でき、作業の効率化が図れる。また、遠隔地からのサポートを受けながら作業を進めることが可能であり、農作業中に専門的なアドバイスをリアルタイムで受けることができる。
2019~21年の2カ年で実施された鳥取県東部エリアの実証実験では、ベテラン農家の手元作業を映像として記録し、新規就農者向けの教材として市が作成したホームページに掲載を行った。技術伝承のために映像として栽培工程を記録しておくことに意味はあるものの、作業者目線での映像をとること自体に工夫が必要となるため、手間がかかるといったマイナス面での評価もあった。
今後、梨の栽培工程の中でも、特に熟練の技術と作業スピードが求められる「摘果[4]」を、AI が判断し作業指示を行うなど、経験の少ない新規就農者でもベテラン農家と同じノウハウを共有できるようになるシステム開発が期待されている。
5.6.自動草刈り機
圃場内の雑草管理を自動化するためのロボット機械として注目されているのが自動草刈り機だ。GPSやAI技術を駆使して、自動的に圃場を巡回し、雑草を効率よく刈り取ることができる。これにより、手作業による草刈りの負担を軽減し、農作業の効率化を実現する。
2019~21年の2カ年で実施された鳥取県東部エリアの実証実験では、急こう配エリアでの人力作業の労力を30%強削減することに貢献した。また、副次的な効果として夜間に機械を走らせることで発生する音によって、鳥獣被害抑止につながることが判明した。
5.7.営農日誌
農業における作業の記録やデータ管理をデジタル化したツールとしてウォーターセル株式会社が提供する「アグリノート」というアプリがある。スマートフォンやタブレットを使用して作業内容や天候状況、施肥のタイミングなどを簡単に記録でき、過去のデータと比較して作業計画を立てることが可能となる。また、クラウド上にデータを保存することで、複数のデバイスからアクセスでき、共有や分析も容易になる。
2019~21年の2カ年で実施された鳥取県東部エリアの実証実験、および2023年から実施中の中部エリアの実証実験に協力しているすべての農家が利用中であり、「作業データを蓄積することにより、ムリ・ムダ・ムラを可視化し、費用対効果の高い効率化施策の導入ができる」という評価であった。
6.既存研究との関連性・新しい知見と意義
従来のスマート農業研究では、米やトマトなど、比較的栽培方法がシステマチックな作物においてICTの導入効果が多く取り上げられてきた。梨のような路地での果樹栽培では、気候や土壌の変動に大きく影響されるため、その導入が難しいとされてきたためだ。しかし、鳥取県における実証実験の結果は、梨栽培にもICTの導入が効果的であることを示し、果樹栽培分野におけるスマート農業の新たな方向性を示唆している。
また、環境データをもとにした精密管理が可能となり、異常気象や病害虫への対応力が向上したことは、持続可能な農業の実現に向けた重要な一歩であるといえる。
しかし、同時に、これらの実証実験にはいくつかの限界が存在する。まず、対象が鳥取県の特定の農家に限定されているため、他地域への一般化には注意が必要であること。また、ICT技術の導入コストが高いため、すべての農家が導入できるわけではないことである。今後の社会実装に向けては、他地域での同様な実証実験や、コスト削減策の開発が求められる。
7.まとめ/データ駆動型農業の未来展望
本稿では、梨の生産におけるICT活用の現状とその効果を明らかにした。ICT技術の導入により、労働力の削減や収量・品質の向上が確認され、今後のスマート農業の発展に向けた方向性が示された。梨の生産におけるICTの活用は、他の果樹や農産物の生産にも応用可能であり、日本農業の未来を切り拓く重要な取り組みであると考える。そのため、最後にモデルケースとして、気象センサーによるリアルタイムの情報取得と、そのデータをもとにしたAIによる自動生産管理システム確立までのプロセスを提言として表1に記す。記載のとおり、データ駆動型農業の実現には、データ蓄積→傾向把握→精度向上のステップが必要となる。
今後、AI技術をさらに活用した予測モデルの構築や、自動収穫ロボットの導入など、農業の自動化が進むことが予想される。気象センサーや生育データをもとにしたAIアルゴリズムの導入により、作業の自動化と精度向上が図られ、効率的な農業経営が実現することに期待したい。
[1] 農林水産省 「令和5年産日本なし、ぶどうの結果樹面積、収穫量及び出荷量」(2024年2月14日)https://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/sakumotu/sakkyou_kazyu/attach/pdf/syukaku_ninasi_23.pdf
[2] 葉や果実に黒い斑点やスス状の病斑を生じる真菌性の病害で、感染すると廃棄処理が必要となる。
[3] 谷上農園: 鳥取県佐治町に圃場を構える3代目若手農家。野菜ソムリエ協会が主催する「全国梨選手権」に何度も入賞経験があり、農業収入1億円を目指して様々なことに挑戦している。https://tanigami-nouen.jp/
[4] 1本の枝に対して果実の数を制限し、養分の分散を防ぐことで収穫予定の実を大きく育てる作業。
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
当サイト内に掲載されたすべての内容について、無断転載、複製、複写、盗用を禁じます。InfoComニューズレターを他サイト等でご紹介いただく場合は、あらかじめ編集室へご連絡ください。また、引用される場合は必ず出所の明示をお願いいたします。
調査研究、委託調査等に関するご相談やICRのサービスに関するご質問などお気軽にお問い合わせください。
ICTに関わる調査研究のご依頼はこちら関連キーワード
山田 達也の記事
関連記事
-
NTTドコモは住信SBIネット銀行買収で、日本版SoFiを目指すのか
- ICR Insight
- NTTドコモ
- WTR No436(2025年8月号)
- 日本
- 金融
- 金融ICT
-
岐路に立つ地域公共交通の現在地
- ICT利活用
- WTR No436(2025年8月号)
- シェアリング
- 日本
-
スマホ特定ソフトウェア競争促進法の意義と課題(4)
- WTR No435(2025年7月号)
- 日本
-
サイバネティック・アバターに対する認証(CA認証)〜サイバネティック・アバターの法律問題 季刊連載 第二期 第1回
- WTR No435(2025年7月号)
- メタバース
- 仮想空間
-
世界の街角から:番外編 ~大阪・関西万博から見える世界の顔ぶれ~
- WTR No435(2025年7月号)
- イベントレポート
- 世界の街角から
- 国内イベント