EUの競争力強化を訴えるドラギ報告書

前ECB総裁のドラギ氏は2024年9月、EUの競争力強化に関する報告書「欧州の競争力の未来」[1]を発表した。氏はそこで戦略分野で欧州を引き離しつつある米中経済との距離を埋めるためには、年間で8000億ユーロ(GDPの4-5%に相当)を追加投資しなければならないと訴えた。報告書はこれを調達するためのEU共同債を発行し、共同投資への資金供給を行うことを進言している。メディア報道では、EU自身の産業政策を冷徹に分析し、そのうえで競争力強化の取り組みを提案したこと、そこに巨額の共同債発行が含まれていることから注目を集めているようである。長期的な人口減少トレンド、国際的な経済ポジションの低下、戦略分野における競争力と生産性の停滞は日本においても強く意識されている共通の課題である。
EUが強みを持ちながらそれを競争力として活かしきれない現状を脱するために、報告書は、1)イノベーションの商用展開を進める集団的な取り組み、2)脱炭素化と競争力強化の両立へ向けた合同計画[2]、3)地域安全保障の増強と米国への防衛依存削減といった、3分野におけるアクションを提案している。さらに、こうした欧州規模のプロジェクトを実現すため資金の動員方法が検討されている。
報告書はフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長[3]からの依頼を受けて作成され、同委員長の2期目となる今後6年間の政治指針に資するものと見られている。同書は、欧州の経済競争力の現状に関する全般的な分析である第1分冊、通信やデジタルなどの主要部門に対する提言をまとめた第2分冊で構成されている。対象セクターはエネルギー、重要原材料、半導体、クリーンテック、自動車、防衛、宇宙、医薬、運輸などのテック分野である。以下では、報告書中でのテレコム関連の提案を中心に概観したい。
競争力強化
新たな任期の欧州委員会では競争力向上が最優先課題と明言されている。他の目標は全部この点を念頭に設定される。委員会はEUの利益を守ることに注力し、競争激しいグローバル環境において地政学的リスクを強く意識した姿勢を貫くとされる。
EUの産業政策について報告書は次のように批判している。従来の細分化された各国市場を前提とした「単一市場」は、高成長企業を海外へ流出させており、成長が期待されるプロジェクトが育たない。EU全体では豊かに存在する投資資金もまた、各国など諸機関に細分化される一方、参加する主体間の連携は不十分で、成果が希薄化することが懸念される(図参照)。さらにいくつもの措置を連携されなければならない産業政策の運用においては、立法プロセスだけでもEU全体の調整のため、提案から平均19カ月を要するというペースの遅さである。

【図】EU(国家/EU)および米国(連邦レベル)の研究開発向け資金提供
EUでは研究開発資金が米より著しく少ないわけではないが、投資先はほぼ加盟各国向けに分散している。
(出典:European Commission, ”The future of European competitiveness: Part A | A competitiveness strategy for Europe”, SEPTEMBER 2024)
テレコム市場の細分化によるスケール小規模化と規制の複雑化
報告書は、米国や中国に比べ、欧州のハイテク企業は、通信、クラウドコンピューティング、半導体への研究開発や投資をサポートする「規模が現在不足している」と指摘する。 また、今後10年間の欧州の競争力戦略の優先事項として、「官民による大規模な資金援助」が必要であるとしている。例えば報告書は欧州のテレコムセクターを米中と比較し、各国/地域のモバイル事業者を比較してEUが34社に対して米中は3~4社であること、固定ブロードバンドの上位3社シェアはEUの35%に対して、米中は各66%、95%であると指摘する。MVNO(「非投資ベース」プレーヤーと呼んでいる)に至ってはEUが351社で米中の70社、16社と桁違いである。EUでは加入者1人当たりの収入と設備投資(購買力の違いを考慮して1人当たりのGDPで補正した場合も)は、米国や日本の半分以下である。同時に事業者の資本収益率は過去10年にわたり、加重平均資本コストに達しておらず、これが投資のための資本調達を困難にしていると分析する。
報告書は、「EUの事業者数は、高い資本集約度が必要な電気通信セクターにおける最適数を超えており、産業政策によってさらなる統合を促進しても必ずしも消費者の購買価格は上昇しない可能性がある」とする研究があることに触れている。これは、モバイル事業者は3社以上とする(と理解されていた暗黙の)ルールを強いた委員会競争総局に対する批判と受け取れる。報告書は、「規制と競争政策は、実際には統合を阻害し、各市場における小規模プレーヤーの多数化を支持してきた」と主張しているのである。
実際には統合を阻害し、各市場における小規模プレーヤーの多数化を支持してきた」と主張しているのである。
新たなテレコム法の提案
ドラギ氏はテレコムセクターの競争力欠如に対処するために、新たな「EUテレコム法」の制定を提案しており、短期(1-3年)、中期(3-5年)、長期(5年以上)に分けたアクションを盛り込むべきとしている(表)。

【表】新テレコム法による高速・大容量ブロードバンドへの取り組み ― 提案
(出典:European Commission, “The future of European competitiveness: Part B | In-depth analysis and recommendations”, SEPTEMBER 2024中のPART B | SECTION 1 | CHAPTER 3. Digitalisation and advanced technologies”より作成)
市場規制の改革
報告書は、「投資とリスクテイクを阻害する」として、国レベルでの事前規制を減らすことを提案し、代わって規制当局が支配的地位の乱用やその他の反競争的行為があった場合には、事後的な競争執行を支持すべきであると提案している。
フェアコントリビューション問題については、「データトラフィックの停止や、インフラを所有するインターネットサービスプロバイダーや通信事業者と、それを利用する超大規模オンラインプラットフォーム(VLOPs)との間のインフラ費用負担に関する商業的な契約合意の定義を奨励する」ことを求めている。競争当局は、合理的な期間内に交渉が成功しなかった場合、「強制的な最終仲裁提案」を行うべきであるとする。
報告書はまた、DSAは「市民、クリエイター、IPホルダーを、責任あるプラットフォーム(大部分が非EU)による説明責任の欠如から保護する」ものであり、DSA(およびDMA、Media Tracker)は、1)行政・コンプライアンス上の負担や法的不確実性を回避する方法で実施され、2)より短時間枠かつより厳格なコンプライアンス規定のプロセスで実施されるべきであると勧告している。
以上は、規制当局と競争当局間での権限の委譲もしくはシェアがありうることを想定させる。
買収・合併
報告書は合併規則の運用がダイナミックな市場に即した形に進化するよう求めている。EUの合併承認ルールは、「技術革新と投資コミットメントの比重を高めるとともに、評価期間の延長(例えば5年)により、価格水準に対する質の向上という形で効率性を高めるべき」である。すなわち規制当局は、部分的な資産分割や移転よりも、「詳細なタイムスケジュールに従って投資すること、サービスを開始すること、データやプラットフォームへのアクセスを約束すること」に是正措置の焦点を当てるべきであるとしている。
ドラギ報告書のテレコム市場に関する分析は、実は従来繰り返されてきた欧州委員会側の権限拡大の要求と、テレコム事業者側からの規制緩和要求、そして各国規制当局側からの権限縮小に対する抵抗という構図における永遠の力学をよく表している。しかし、報告書からは、今後、その中にEU競争当局が有力なアクターとして加わる可能性が予感させられる。報告書は同時に、競争総局に対して従来のスタンスを一部見直すことも迫っている模様である。
[1] https://commission.europa.eu/topics/strengthening-european-competitiveness/eu-competitiveness-looking-ahead_en
[2] 脱炭素を目的としたEV化促進政策がはかばかしくない事実などを踏まえたもの。
[3] https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/statement_24_4601
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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