2025.10.30 ITトレンド全般

課題の一つかもしれない

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1.ビジネス界隈でのベーシック

ビジネス界隈でのベーシックな活動、すなわち経済活動としては、お客さまやユーザーのお困り事や問題を聞き取り、場合によってはその発見を手伝い、課題を解決したり、解決の方向性を見い出したりすることで対価をいただくという流れが基本にある。「ニーズ」という言葉には、「あったらいいな」というレベルのものまで含まれるイメージがあるが、収支状況が厳しい中では、お困り事の解決が収益向上につながるもののみが、対価の支払いにつながると言ってもよいだろう。お困り事の発見方法や解決方法については、様々なビジネス書があるが、本稿ではビジネスの枠とは少し離れ、人が抱えている問題は何かという点について考えてみたい。

2.農業革命、産業革命の前後で比べると

農業革命、産業革命の前後で比べると、人の満足は本当に充足されているのだろうか? 食料、水、住居、身体的安全、医療、経済、娯楽、いずれも高い水準で安定的に実現しているといえる。農業革命や産業革命によって経済発展は著しく進み、課題の多くは解決されたようにも感じられる。物やサービスはあふれ、常に新商品が発表され、便利で楽しいことが加速度的に増えているのは間違いない。一方で、幸福度や満足度といったグローバルな指標を見てみると、まだ何かが足りないようにも思える。では、いまだに解決していないものとは何なのだろうか。

3.解決していない何かを探る糸口

労働拘束時間が長かった時代には、自分のやりたいことをやる時間(暇)がないことが問題とされ、「やりたいことができない」と言われていた。一方で現代では残業などがあるものの、時間的な余裕は少なからず生まれている。では、その時間を現代人はどうように使っているのだろうか。ある哲学者は「人は自分が何をしたいのかを意識できなくなってきており、広告やセールスマンの言葉によって、はじめて自分の欲望を認識するようになっている」と述べている。19世紀の人々からすれば想像もしなかったことである。経済は本来、消費者のニーズによって動くものであり、消費者主権は自明のものであるとされる。しかし、現代のようにマーケティング技術が発展した社会では、供給側が需要を喚起しているともいえるのではないだろうか。つまり、生産者が消費者に「必要なのはこれです」と提示し、消費者はそれを「自ら選んだ」と思いながら購入している、という構図である。こうした構図は、時間の使い方にも当てはまるだろう。そう考えると、時間的余裕ができたからといって、個々人が本当に“やりたいこと”を見出せているのか、という問いが浮かび上がる。資本主義は、こうした「人がやりたいことがわからない」「欲望が不明瞭である」という状態を前提とし、楽しみを生み出し、提供することで利益を創出しているともいえる。もちろん、その“楽しみ”には、人にとって良いものもあれば悪いものもある。

4.時間を埋めようとする理由

では、なぜ人は時間(暇)を埋めようとするのだろうか? せっかく、獲得した暇であるが、何に使えばよいかわからず、あらかじめ「準備された楽しみ」に身をゆだね、安心を得ているのが現状ではあるが。ある哲学者によれば、それは人が「退屈」を嫌うからだという。パスカルの言葉を借りれば、人間は「部屋でじっとしていればいいのに、そうできない」性質を持っている。つまり、人は退屈を避けるために、何かを「する」。それは暇つぶしのための行動であり、対象は何でもよいが条件があり、熱中(興奮)できるものでなければならない。ここで重要なのは熱中するためには単なる快楽だけでは不十分ということである。むしろ、克服すべき障害や緊張、リスクといった“負の要素”が必要となる。例えば、暇つぶしにパチンコをする人がいるとする。仮に「多少の儲け」が出るという前提で、その儲け分を事前に渡したうえで、「もうパチンコに行かないでほしい」と頼んでも、その人はきっとまたパチンコに行くだろう。なぜなら、パチンコに行かないと、「お金を失うかもしれない」というリスク、すなわち“負の要素”が存在しなくなるからである。同様のことをニーチェも以下のように指摘している。「苦しむことは、もちろん苦しい。しかし、自分を行動に駆り立ててくれる動機がないこと、それはもっと苦しいのだ。」また、ラッセルは「退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの」であると述べている。ここでいう「事件」とは、今日と昨日を区別してくれる出来事のことであり、毎日同じことが繰り返される退屈な状況を打破してくれるものである。退屈の反対は「快楽」ではなく、「興奮」だという。さらにハイデッカーもまた、当時話題となった著書『西洋の没落』の背景には「ある種の深い退屈が……去来している」と述べている。

5.退屈はいつはじまったか?

では退屈はいつ発生したのか? ある文献によると、それは人類の定住化に起因するという。人類は誕生以来、約1万年前までは狩りや採集をしながら移動生活をしていた。しかし、約1万年前の気候温暖化によって、それまでの大型獣の狩猟が難しくなり、小型化した獣や魚類の捕獲、植物資源への依存が進んだ。こうした環境の変化により、季節変動による食料獲得の不安定性が生じ、その対応として備蓄が必要となった。そして、備蓄は移動生活には不都合であったため、次第に定住化が進んだと考えられている。つまり、人類は「稲作を始めるために定住した」のではないようだ。定住化以降の1万年は、人類誕生以来の数百万年に比べて、著しい変化を伴ったのは周知のとおりである。定住化は、掃除やゴミ処理の必要性、社会的緊張を緩和するためのルール(法律)づくり、死者への向き合いから生まれる宗教的感情の形成、さらには備蓄によって生じた社会的階級の発生など、様々な新しい課題をもたらした。そして、移転を伴わない定住化が退屈を生み出し、回避する必要性が生じたのではないかと言われている。移動生活においては、常に新しい環境に適応する必要があり、人間本来の探索能力が十分に発揮されていた。移動先で適応するために獲得する新鮮な情報は、常に人の脳を刺激していたはずである。しかし定住することで環境に適応する必要が減り、新しい刺激に触れる機会も少なくなった。その結果、探索能力は行き場を失い、その力を使うために、大脳を刺激する別の何かを求めざるを得なくなった。探索能力を使わないと持て余して退屈してしまうからだという。定住化した人々は、物理的空間の移動は失った代わりに、心理的な空間を移動することで探索能力を発揮し、結果として土器や装身具などを作り始めたのではないかと言われている。定住生活を維持するため、持て余して退屈しないように、従来使っていた探索能力を適度に使うことが必要だったのだろう。それが本来の目的とは異なる成果として文明を形づくったという説もある。つまり、退屈とは、定住を契機として発展した文明社会の根底に根差した問題であるということである。

定住によって、人はゴミを捨てる場所を決め、用を足す場所を設け、法律に従うようになった。そのため、約1万年前に定住生活をするようになって以来、人は生まれてからそれらを習得して、生活している。幸運なことに、これらの問題には「ゴミ捨て場をつくる」「トイレをつくる」「ルールを作る」という明確な解があった。一方で、退屈をいかに回避するかという問題には、いまだに明確な解が見つかっていないのが現状ではないか。それまでの数百万年にわたり形成されてきた人間の特性に対し、わずか1万年という時間ではまだ十分に適応しきれていないのかもしれない。

6.暇でなくても退屈は存在

『ファイトクラブ』という映画がある。主人公は、衣食住に不自由することのない生活を送りながらも、日々の暮らしに何か満たされないものを感じている。ある哲学者は、彼は「暇ではないが、退屈している。人は暇でなくても、退屈には耐えられないのである」と評している。ここでいう「暇ではない」とは、日々残業があり、忙しく過ごし、時間的な余裕がない状態を指す。それにもかかわらず、人は退屈を感じうる。すなわち、昨日と今日を区別するような「事件」がなければ、人は退屈し、やがて生きている実感を失ってしまうのである。映画の中で主人公の趣味はブランド家具の収集であり、自宅をまるでショールームのような、おしゃれな空間に整えている。しかし、彼は「生きている実感」を得られず、退屈しているのである。つまり、現代社会の産業が提供してくれるものでは、人間の退屈を本質的には解消することはできないということである。経済発展によって生み出された様々なサービスや製品では、一時的な慰めにはなり得ても、根本的な解消には至っていないのである。

7.追求すべき課題のひとつ

定住化した人間が抱える退屈を、永続的に解消する術は、まだ発見されていないのかもしれない。文明社会が高度に発展し、食料、商品、サービスが、生命の安全から娯楽に至るまで人間のあらゆるニーズに応えてきた。しかし、肝心の退屈の解消については、消費という一過性の手段によって、一時しのぎの対応がなされているに過ぎない。この消費追求のスパイラルの先には、退屈解消の根本的な答えは存在しないようである。勝つか負けるかのグローバル競争時代において、技術やサービスの発展による経済成長は不可欠であり、それが我々の生活を豊かにしているのは確かである。しかし同時に、人は本来的に退屈を解消する必要を抱えているという観点を、意識的に加えることが、今後の経済活動における差別化の重要な要素となるのかもしれない。

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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