2021.12.13 InfoCom T&S World Trend Report

世界の街角から:アルゼンチン ~「南米のパリ」、ブエノスアイレス

Herbert BrantによるPixabayからの画像

2011年にブラジルとアルゼンチンを訪れるパッケージツアーに参加した。ツアーの目玉は世界3大瀑布の一つに数えられるイグアスの滝の見学だった。ブラジル側とアルゼンチン側の遊歩道からそれぞれ鑑賞し、ボートで滝のすぐそばを通り抜け、壮大な景観、圧倒的な水量と力強い水勢に雨具を着ていてもびしょ濡れになり、激しく上下するボートの上で悲鳴を上げながら体験したスリリングな川下りの光景は今も鮮明に脳裏に焼き付いている。

一方でアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで過ごした時間も忘れ難い。欧州を彷彿とさせる建物や街並みは、別名「南米のパリ」と呼ばれる雰囲気そのものだった。本稿では1泊2日という短い期間で巡ったブエノスアイレスの魅力を観光スポットとの写真とともにご紹介したい。なお本文中の写真はすべてツアーでご一緒したプリマ・リエさんにご提供いただいた。

アルゼンチンの概要

アルゼンチンはブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイ等と国境を接しており(写真1)、人口約4,500万人で、人口の約97%を欧州系(スペイン、イタリア)が占めている。国土面積は世界第8位の約278万平方km(日本の約7.5倍)、南北約3,800kmの広大な大地は、亜熱帯雨林のジャングル、チリ国境に広がる雨が少ない乾燥地帯、内陸部に広がる温帯性の草原、年間を通して溶けることのない氷河が広がる南部地域等、一国にいながらにして四季を体感できると言われている。

【写真1】アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ三国国境地点

【写真1】アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ三国国境地点

ラテン語で「銀の国」を意味するアルゼンチンでは、500年前の大航海時代に銀の産地と考えていた欧州の探検家や征服者らがラ・プラタ川をさかのぼっていった。ラ・プラタもまたラテン語で「銀」を意味することから、銀鉱山を求め権益を得ようとする人々に注目されていた様子が想像できる。

首都ブエノスアイレスは、ラ・プラタ川沿いにある人口約300万人の都市だ。ブエノスアイレスには空港が2つあるが、主に国内線が発着するホルヘ・ニューベリー空港はラ・プラタ川に面して位置し、空港ビルを出ると眼前に広がる川は大海原が迫りくるかと見紛うほどの迫力がある。

市街中心地(セントロ)

最初に訪れた観光スポットはブエノスアイレスの中心地(セントロ)にある5月広場。300年近く続いたスペインの植民地支配に終止符を打とうと1810年5月にクリオーリョ(ラテンアメリカ生まれの白人)らが起こした「5月革命」で独立宣言が行われたのがこの広場だ(写真2)。

【写真2】5月広場にある革命記念碑

【写真2】5月広場にある革命記念碑

5月広場の周辺には大統領府や大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)などの有名な施設がある。

大統領府は、「カサ・ロサーダ」(バラ色の家)とも呼ばれ、19世紀後半にスペインのロココ調様式で建設されて以来、代々ピンク色に塗られていることからこのように呼ばれている(写真3、訪れたときは一部工事中)。ほのぼのとした色合いとは対照的に、建物には至るところにレーザーセンサーが張り巡らされていて、見えないところで警戒態勢が敷かれているとのことだった。

【写真3】大統領府

【写真3】大統領府

大聖堂は1827年に完成したネオ・クラシック様式の聖堂で、キリストの12人の使徒を表す12本の柱が並んでいる(写真4)。ステンドグラスが美しい聖堂内には厳粛な雰囲気が漂う。南米解放の父と呼ばれるホセ・デ・サン・マルティン将軍の霊廟もあり、アルゼンチン、チリ、ペルーの聖女の像に見守られて安置されている。聖堂正面右側に燃える炎は、完成当時から現在に至るまで絶えることなく燃え続けているという(写真5)。

【写真4】大聖堂

【写真4】大聖堂

【写真5】大聖堂の炎

【写真5】大聖堂の炎

セントロには他に、イタリア・ミラノのスカラ座、フランス・パリのオペラ座と合わせて世界3大劇場とされるコロン劇場もある(写真6)。イタリア・ルネッサンス様式の劇場内には、1階の椅子席と6階までの桟敷席があり、通常2,800人収容することが可能という規模を誇る。

【写真6】コロン劇場

【写真6】コロン劇場

レコレータ墓地

セントロの北西部、ブエノスアイレスの「山の手」であるレコレータ地区は緑が多く高級住宅街となっている。ここには約150m四方の「レコレータ墓地」があり、約6,400の納骨堂がある(写真7、8)。彫像と伝統的な装飾が施された納骨堂は富豪の屋敷の玄関のようにも見える。アルゼンチンでは埋葬された場所により社会的地位が評価されるため、歴代の大統領を含む多くの著名人が埋葬されている。

【写真7】レコレータ墓地

【写真7】レコレータ墓地

【写真8】彫刻が美しい納骨堂

【写真8】彫刻が美しい納骨堂

その一人がミュージカル「エビータ」でも描かれた、エビータ(マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン)元大統領夫人だ。エビータは不遇な子ども時代を送ったが、のちに女優になり、さらにペロン大統領夫人となった人物。婦人活動団を組織するなど政治活動にも積極的に参加したことでも知られる。その美貌とドラマチックな人生で国民から絶大な人気があったが33歳の若さで亡くなっている。エビータの墓には今も多くの人が訪ね花を手向けている(写真9)。

【写真9】エビータの墓

【写真9】エビータの墓

ボカ地区カミニート

ブエノスアイレスの南東部、ラ・プラタ川河口近くにあるボカ地区はアルゼンチン・タンゴ発祥の地だ。北部に港ができる前、ボカ港には欧州からの船がすべて停泊し、新天地での成功を夢見る移民を送り届けてきた。当時のボカ地区には造船所や安宿、賭博場があり、労働者や船員のたまり場だったと言われる。

現在のボカ地区は歩行者用の小径(カミニート)があり、周辺の家屋は隣り合う壁が互いに違う色でカラフルに彩られている(写真10、11)。タンゴの発祥地にふさわしく、レストランでは店の前にテーブルと椅子が出され、来訪者は食事をしながらタンゴを見ることができる。

【写真10】ボカ地区

【写真10】ボカ地区

【写真11】カミニート(小径)

【写真11】カミニート(小径)

最後に

2021年10月1日付のジェトロのニュースによると、ブエノスアイレスでは市内における新型コロナウイルスの新規感染者数が大幅に減少したことを受け、連邦政府が10月1日に予定されていた行動制限の緩和措置を前倒しして、9月17日に先行導入したと伝えられ(2021年11月9日確認)、同国内の感染状況は落ち着きを見せているようだ。

このコーナーを担当する執筆者が毎回記すように、ワクチン接種や服用薬の開発が進展しているものの気楽に旅に出かけるにはまだ時間がかかりそうだ。自由に国を行き来し旅を楽しめる日が一日も早く来ることを待ちわびながら、イグアスの滝で撮った写真とともに本稿を締めくくりたい(写真12)。

【写真12】イグアスの滝で撮った写真

【写真12】イグアスの滝で撮った写真

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