2018年の8月、夏休みに南米ギアナ高地を訪れた。ベネズエラ、コロンビア、ガイアナ、スリナム、仏領ギアナ、ブラジルの6つの国と地域にまたがっており、その面積は日本の3倍以上に相当する。地殻は20億年前のもので地球最古の大地と考えられている。山、川、滝、草原が勢ぞろいする圧倒的な自然との出会い。「一生に一度は訪れたい場所」の一つに数えられるギアナ高地を旅した模様をお伝えしたい。
70リットルのゴミ袋?
今回、旅行会社の添乗員が同行するツアーを利用した。事前に添乗員さんによる説明会が開催されたので参加した。地図や旅程表を参照しながら、最近添乗したという同ツアーで撮った写真を見せてもらった。
初めて行くところは地名と位置関係が把握しづらい。全行程を網羅する地図がなかったこともあり、どこか心もとない。移動手段に四輪駆動車、木製ボート、セスナ、ヘリコプターを利用するという。毎日移動し宿泊先も変わる。忙しそうだ。
持ち物リストには、フリース等の防寒着、トレッキングシューズ、上下セパレートタイプの雨具、速乾性の服、水着等とあった。そこに、ゴミ袋(70リットル)、ヘッドランプ、トイレットペーパー、捨てても良い古い靴下、強力な虫刺され薬といったものが続く。「そこに」以降のものは過去の旅行で持っていったことはない。ヘッドランプも初めて聞いた。「ヘッドランプがあれば懐中電灯は必要ない」と言われ、ますます混乱していった。
ギアナ高地を擁する世界遺産「カナイマ国立公園」へ
成田を出発して米国経由でベネズエラの都市バルセロナに到着するまで2日。そこから旅行会社のバスに6時間ほど揺られ、ギアナ高地観光の拠点となるプエルトオルダスで1泊する。翌朝、小型機専用の空港からセスナに乗り、ギアナ高地一帯を含む世界遺産カナイマ国立公園に向かう。セスナ搭乗では添乗員の方の席が足りずツアー参加者だけで先発するというハプニングもあったが、昼前に全員無事にカナイマに到着した。成田を出て3日目のことだ。到着後は、カナイマ湖クルーズで滝の裏側を通れるというサポの滝を訪れた。滝近くで水着の上に速乾性の服を着て、捨てても良い靴下に履き替えた。
最初の難関、ボートクルーズ
ギアナ高地で最も有名な訪問先の一つ、エンジェルフォールに向かう行程は、ボートで上流に向かい、滝の麓のキャンプで1泊、翌朝さらにボートで川上に向かった後、ジャングルに入りトレッキングで展望台を目指すというものだ。
カナイマ到着後、昼食後にカナイマの宿泊先でエンジェルフォールに向かう旅支度を行った。片道4時間のボートの旅。1泊分の衣服と携行品をカバンに詰め、70リットルのゴミ袋にくるみボートに乗り込んだ。ボートに積み込まれた荷物はさらに防水シートで包まれた。
ボートでは常に水しぶきを浴びる。雨季でありスコールも予想されるため、皆、水着の上に上下セパレート型の雨具を着た上にライフジャケットを着用する。乗船後20分ほどで、川の早瀬に当たる場所で一度下船した。急流で水深が浅くボートでの航行が困難であることから、約30分徒歩で移動。再びボートに乗り込んだ後、一度トイレ休憩のため小さな島に立ち寄った(青空トイレ)。
ボートに乗って2時間近く経った頃、空模様が怪しくなり、1回目のスコールがあった。その後は雨のたびに降雨時間が長くなった。後ろを振り返ると、皆一様に雨具の上着についているフードを目深にかぶり足元を見つめていた。最後のスコールが収まる頃にはビーチシューズを履いたつま先が冷えきって白くなっていた。ようやくエンジェルフォールの麓のキャンプ場に着いたのは午後6時半を回り、既に日が落ちた頃だった。
エンジェルフォール・キャンプ
エンジェルフォール・キャンプは、屋根と柱だけで壁がない。この簡素な造りの建物で寝泊まりする。1泊2日のエンジェルフォール・ツアーに同行するガイドさん一家がボート操縦、荷物の上げ下ろし、調理、寝具(ハンモック)の設営等すべてを取り仕切ってくれる。
キャンプは、ネットはおろか、水なし、電気なし、トイレなし。正確に言うとトイレはある。きれいな作りだが水は出ない。ガイドさんの家族が1メートルほどある大きなバケツに川の水を汲んでくれていた。
夕食時、雨に打たれて冷えきった体に防寒具をまとい、ヘッドランプを着用して席についた。細長いテーブルにベンチ。大皿に盛られたパスタ、鶏肉、野菜を一人一人、プラスチックの皿に取り分けて食べた。家庭料理なのだろうか。素朴で味付けもあっさりしたものだった。
22時頃には蚊帳付きハンモックで就寝。暗闇の中、ヘッドランプが一つ、また一つと消えていった。
エンジェルフォール
翌朝まだ夜が明けないうちに起床。朝もやの中、エンジェルフォールがその姿を現す。雲の切れ間を狙い、エンジェルフォールを頂上からフレームに収めようと、シャッターチャンスをうかがった。
エンジェルフォールは台形状のテーブルマウンテン「アウヤン・テプイ」から流れ落ちる。アウヤン・テプイとは先住民族ペモン族の言葉で「悪魔のテプイ」を意味する。標高は約2,600メートル、山頂の広さは東京23区を上回る。
朝食後、エンジェルフォールの展望台に向けてハイキングを開始した。雨季のジャングルの地面は木の根っこや表面がつるつるした石が多く、トレッキングシューズを履いていても何度も滑って転びそうになった。途中、木々の特に先端部分が赤い色の葉っぱを見かけた。付近に流れる川に多く含まれるタンニンによるものだ。タンニンは酸性であり、若い葉に多く含まれることにより虫や動物に食われることを防いでいるとのことだった。
1時間半程歩き、エンジェルフォールを仰ぎ見る展望台に到着した。世界最大の高低差979メートル。皆思い思いのポーズで写真撮影した後、滝から落ちる水が流れ込む天然プールで泳いだ。足元が滑りやすいので捨てても良い靴下を再び履く。赤みがかった水は冷たく、川底はぬめりのある大小の岩が重なり合っていた。深さがわからず何度も足を取られ、脛が擦り傷だらけになった。
パライ・テプイ、ロライマ山
ロライマ山は、シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルの小説「ロストワールド(失われた世界)」の舞台になったことで知られている。これに着想を得て作られたのが映画「ジュラシック・パーク」だそうだ。
ギアナ高地には数多くのテプイが存在する。パライ・テプイは標高1,300メートル程でロライマ山へのトレッキングの拠点となる村がある。ロライマ山へのヘリコプター遊覧飛行もこの村から発着する。片道20分ほどの遊覧飛行でロライマ山の山頂に到着。頂上では15分ほど滞在した。溶岩が固まったようなごつごつした岩で覆われた地面でわずかに土があるところに草花が見られた。
パライ・テプイの眼下には広大で緑豊かな草原が広がる。集落を歩いていると放し飼いの鶏をよく目にした。しかし牛や羊などの家畜を育てている様子は見られなかった。不思議に思い現地のガイドさんに尋ねると、元々土が痩せているため動物が好む柔らかい草は育たないという話だった。村には農業に従事する人もいるものの、大半はトレッキングのポーターで生計を立てているとのことだった。
夜中0時過ぎ、草原手前のなだらかな草むら一面がホタルの光で覆われる。電気が通っていない真っ暗な空の下で瞬く光はさぞかし幻想的だったことだろう。筆者も夜11時頃、ロッジの外に出たが時間が早かったのか見ることができなかった。あまりの暗さに草むらまで歩みを進めるのが怖かったという別の理由もあった。
水とのふれあい……滝と川
今回の旅で自分のテーマになっていたのが「水に入る」ことだった。カナイマ国立公園内には様々な形態の滝がある。高低差が大きい、水量と水勢から滝壺に近づけないなど滝の形態は様々だ。地元の家族連れで水遊びが楽しめる公園風の滝もあった。どの滝にも共通して言えるのは、ペットボトルや缶、食べ残し等のゴミが見当たらないことだ。ゴミ箱も見かけなかった。持ち込んで飲食する習慣がないのかもしれない。
水遊びができる川や滝には大抵、プリプリという小さなアブのような虫がいる。刺されると小さな赤い斑点のように腫れ、蚊よりも痒みが強い。強力な虫除けは水遊び時に必携。
グラン・サバナ
カナイマ国立公園では、巨大なテーブルマウンテン、轟音とともに豊かな水があふれる数々の滝を目にした。地球が重ねてきた時間の重みや荘厳さとともに、自然の躍動感を感じる。グラン・サバナは森林がなく、ぐるりと360度見渡せる大草原だ。赤道近くのこの地域もかつてはジャングルだったが100年程前に発生した火災により焼き尽くされてしまったそうだ。
未舗装の赤土の道を四輪駆動車で走り抜けると、近くに遠くに見えるものがある。野焼きの白い煙が大地から立ち昇り、その先をたなびかせていく。もこもこの雲が羊やミシュランマンに形を変えて流れる。一軒家の周りを悠然と歩く脚の太い鶏。ここまでどうやって来るのかと思われる教会。
普段通勤は地下鉄、見つめるのは手元か足元ばかり。見える範囲がどのくらいなのか、あのテプイはどのくらい離れているのかと考えることもなく、固い蕾がほぐれていくように眼も頭もほどけていくようだった。
珍しい植物、生き物
ギアナ高地には絶壁により周囲から隔絶された地理的な環境、栄養分の少ない土壌、風雨等の厳しい気候風土により、多くの固有種が存在する(以下の写真は固有種以外も含む)。
おわりに
8月上旬、ベネズエラの首都カラカスで行われた軍事パレードで演説をしていたマドゥロ大統領に向かって、爆薬を積んだドローンが近づき爆発するという事件が起こった。これを受けベネズエラ当局は、すべてのベネズエラ国内線の航空機、ヘリコプターなど空の交通機関の飛行を禁止する措置を取った。
旅行出発当日、成田空港で添乗員さんからベネズエラ国内線の飛行許可がまだ下りていないこと、国内線が運航しない場合は旅程が変わる可能性があるという説明を受けた。結果として当初の旅程通りに進んだが、このことがベネズエラの政情不安を知るきっかけとなった。
今回の訪問先はカナイマ国立公園を中心とした地方の町や村。ホテルも日本人が泊まれるレベルとされるところ、商店も旅行者を相手にする土産物店だけだった。地方に行くほどホテルの食堂の冷蔵ケースはカラで、食事時に出る飲料はホームメードのフレッシュジュースだけ。缶や瓶入りのソフトドリンク、アルコール類は販売されていなかった。宗教上の理由か流通構造の事情かと思っていたところ、ガイドさんからベネズエラ政府がハイパーインフレに対応するため、通貨ボリバル・フエルテを5桁切り下げるデノミを実施する予定であることを聞いた(8月20日実施)。
国の将来に不安を感じ、特に都市住民のペルー、コロンビア、ブラジル等周辺国への流出が止まらない。他方、地方在住者は自給自足に近い暮らしをしており、都市の住民に比べるとそれほど影響を感じてはいないのではないかという話だった。
旅行出発の数日前に添乗員さんからの電話で、「忘れられない旅になると思います」と聞いたときに感じた得も知れない不安は、冒険のような旅で一つ一つ解消されていったように思う。
ネットも電話もつながらない地域に足を踏み入れたのは初めてだった。それでも、電気がない、お湯が出ない、水も出ないという環境に置かれると割と簡単に慣れてしまった。もちろん短期的な滞在であるとともに、団体旅行という守られた条件の下で行動していたことに依るところは大きい。普段当たり前に使っているものが使えない。「お金を出して不便を買うようなものだよね」とは旅慣れた秘境巡りの先輩たちの言葉だ。
毎日のように色々な滝を巡り、川で水遊びに興じた。日焼け止めだけ塗って出かけ、ツアーでご一緒した初対面の皆さんとずっと素顔で過ごしたのも良い思い出になった。

【写真29】旧ボリバル紙幣(ボリバル・フエルテ)。2万ボリバルが約0.09ドル(2018年8月14日時点)。
8月20日に新通貨「ボリバル・ソベラノ」に変更され10万分の1に切り下げられた
(1ボリバル・ソベラノ=10万ボリバル・フエルテ)。
調査研究、委託調査等に関するご相談やICRのサービスに関するご質問などお気軽にお問い合わせください。
ICTに関わる調査研究のご依頼はこちら関連キーワード
亀井 悦子の記事
関連記事
InfoCom T&S World Trend Report 年月別レポート一覧
ランキング
- 最新
- 週間
- 月間
- 総合