2022.3.30 InfoCom T&S World Trend Report

世界の街角から:東と西の接点 ~バルト三国の旅 ラトビア・エストニア編~

【地図1】移動ルート
(出典:Google Map)

前回のリトアニアに続き、今回はラトビアとエストニアの旅。

十字架の丘から車で国境を越え、、、と言っても欧州は陸続きなので、パスポートコントロールもなくそのままラトビアへ入国(地図1)。

ラトビアはバルト三国の真ん中に位置しており、西はバルト海に面し、東はロシア、ベラルーシとも国境を接している。国土は四国と九州を足したより少し大きいくらいの面積で、首都はリガ。ソ連時代は重工業が盛んであったが、独立後は資本主義経済の競争に乗り遅れ、木材や金属加工などが主たる産業となっていた。近年は観光業にも力を入れており、「バルトの貴婦人」と呼ばれる東欧の美しい街並みと豊かな自然がその資源にもなっている。

ルンダーレ宮殿

最初に向かったのは、シャウレイから約2時間のルンダーレ宮殿。

18世紀にクールラント大公のために建てられた離宮で、夏の離宮として使用されていたもの。ロシアのサンクトペテルブルクにある冬の宮殿を手掛けた建築家ラストレッリが設計したもので、138室もあるバロック様式の豪華絢爛な宮殿と、美しい庭園を持つことから「バルトのベルサイユ」と呼ばれている。第二次世界大戦により大きな打撃を受けたが、約40年かけて修復され、かつての美しい姿を取り戻している(写真1、2)。

【写真1】ルンダーレ宮殿全景

【写真1】ルンダーレ宮殿全景
(出典:文中掲載の写真は、一部記載のあるものを除きすべて筆者撮影)

【写真2】宮殿の門

【写真2】宮殿の門

内部はまさに絢爛豪華。戴冠式等に使われた黄金の広間、舞踏会が行われた白の間は圧巻。こちらは女性達の華やかなドレスが一番美しく見えるよう白い漆喰装飾が施されたとのこと。調度品も素晴らしく、陶磁器が美しく飾られている部屋が印象的。これらの陶磁器はほとんどが中国と日本のもの。有田焼は当時の西欧で非常に人気があり、こんなところでも所蔵されていたことに驚いた(写真3、4、5)。

【写真3】黄金の広間

【写真3】黄金の広間

【写真4】白の間

【写真4】白の間

【写真5】陶磁器の間

【写真5】陶磁器の間

大公の間は宮殿の中央、南に面して庭園が見渡せる場所に位置し、これはベルサイユ宮殿でも用いられた伝統的な配置。ベッドの両脇にある青い背の高い陶磁器は当時のストーブで、部屋の裏手から中に炭を入れて部屋を暖めたらしい。西洋の火鉢と言ったところか(写真6)。

【写真6】大公の寝室

【写真6】大公の寝室

その他、ダイニングルームにビリヤードルームと豪華な部屋が続くが、宮殿内だけでなく広大な庭園も素晴らしく、ローズガーデンも有名。庭には当時の衣装で一緒に写真を撮ってくれる人もいて、多くの人が散策を楽しんでいた(写真7、8)。

【写真7】ローズガーデンから見る宮殿

【写真7】ローズガーデンから見る宮殿

【写真8】当時の衣装で迎えてくれる人

【写真8】当時の衣装で迎えてくれる人

もっとゆっくりガーデンを散策したい思いもあったが、暗くなる前にリガに移動すべく車を走らせた。有名な観光地から首都への道だからと油断していたら、標識が何もなく、道もきちんと舗装されていない砂利道が延々と続き、対向車もほとんどいないので本当にこの道で合っているのかとどんどん不安になる。かつ、ひどい悪路で石を跳ね上げながらの運転のため、パンクでもしたらどうしようとヒヤヒヤしながら、何とか無事にリガに到着。

夕暮れの街を散歩し、ライトアップされた建物を見て回り、今夜の宿へ(写真9、10 夜のリガ)。

【写真9】ライトアップされた聖ペテロ教会

【写真9】ライトアップされた聖ペテロ教会

【写真10】夜のリガ

【写真10】夜のリガ

リガは人口70万人を超えるラトビアの首都であると同時に、バルト三国最大の都市。旧市街は1997年世界遺産に登録されている。

聖ペテロ教会

13世紀初頭に建てられた教会で、当初は木造だったが、第二次世界大戦により焼失し、石造りで再建されたもの。旧ソ連の支配下でも破壊を免れた貴重な建物で、旧市街のランドマーク。

レンガ造りの礼拝堂は荘厳な雰囲気で、ちょうど練習をしていた聖歌隊の美しい歌声を聴くことができた。高くそびえたつ塔は123mあり、エレベーターで展望台に上がると旧市街から新市街までリガの街を一望できる(写真:11、12、13)。

【写真11】聖ペテロ教会

【写真11】聖ペテロ教会

【写真12】塔から見た旧市街

【写真12】塔から見た旧市街

【写真13】聖ペテロ教会礼拝堂と練習中の聖歌隊

写真13】聖ペテロ教会礼拝堂と練習中の聖歌隊

【写真14】聖ペテロ教会とブレーメンの音楽隊

【写真14】聖ペテロ教会とブレーメンの音楽隊

また教会の傍にはブレーメンの音楽隊の像があり、人気のスポットとなっている。ブレーメンと姉妹都市であることから設置されたそうで、触ると願いが叶うと言われているため、みんなに触られて鼻先がピカピカなのもご愛敬(写真14)。

ブラックヘッドの館

次に向かったのはブラックヘッドの館と呼ばれる赤レンガの建物。独身の貿易商人が集まる集会場として1334年に建築された。これも第二次世界大戦により破壊され、現在の建物は1999年に再建されたもの。装飾と時計が美しい建物で、ギリシャ神話の神々の像が配置されている(写真15)。

【写真15】ブラックヘッドの館

【写真15】ブラックヘッドの館

三兄弟の家

マザーピルス通りにある3つ並んだパステルカラーの建物は三兄弟の家と呼ばれている。右から順に15世紀後半、17世紀中頃、17世紀後半に建てられてもので、時代ごとの建築様式の変遷を見ることができる。一番古い右の建物は、当時窓の大きさで課税されたため窓が小さいのが特徴となっている(写真16)。

【写真16】三兄弟の家

【写真16】三兄弟の家

ユーゲントシュティール建築

新市街に点在する独特の装飾が美しい建物は、19世紀後半から20世紀初頭に建てられたユーゲントシュティール様式(アールヌーヴォー様式)のもの。18世紀にロシア帝国の支配下となったリガは、大きく発展を遂げ、ロシア帝国第三の都市となった。新市街に残る意匠をこらした建物は、当時の栄華を偲ぶものとなっている。建物自体も特徴的だが、その装飾がユニークで、建築に興味がある人でなくても楽しめる(写真17)。

【写真17】ユーゲントシュティール様式の建物

【写真17】ユーゲントシュティール様式の建物

市街には運河も流れており、市民の憩いの場となっている。歩き疲れたら運河を眺められるカフェでのんびり休憩するのもおススメ(写真18、19)。

【写真18】市街を流れる運河

【写真18】市街を流れる運河

【写真19】カフェにて

【写真19】カフェにて

リガの街はまだまだ見どころがたくさん。大聖堂はあいにく塔が修復中だったが、荘厳な内部は見学でき、パイプオルガンのコンサートも聴くことができた。広場や街角に花があふれる美しい市街は、ただのんびり歩いて回るだけでも楽しめる。また、独立戦争の戦死者を追悼するために建てられた自由の記念碑は、現在もラトビアの自由・独立の象徴として人々に大切にされており、周辺国に翻弄されてきたラトビアの歴史も忘れてはならない(写真20、21、22)。

【写真20】大聖堂と広場

【写真20】大聖堂と広場

【写真21】石畳の美しい街角

【写真21】石畳の美しい街角

【写真22】自由の記念塔

【写真22】自由の記念塔

名残は尽きないが、エストニアに向けて出発。ここからは車を乗り捨て、高速バスで移動。6時間かかる旅なので+1000円で乗れるプレミアクラスのバスを選択。シートは2列と1列になっており、ふかふかのシートに個人用テレビ、眠るときにはカーテンで囲えるようになっていて、とても快適。(写真23)

【写真23】プレミアバス

【写真23】プレミアバス

車窓の風景を楽しみ、ぐっすり眠ったらあっという間にタリンに到着。

エストニアはバルト三国で最も北に位置し、北はフィンランド湾、西はバルト海、東はロシアと国境を接する。国土は九州より少し大きいくらいの面積で、首都はタリン。タリンは中世ハンザ同盟の都市として栄えた湾岸都市であり、フィンランドの首都ヘルシンキとは高速艇で結ばれており、往来が盛んである。日本からバルト三国に行く場合は、ヘルシンキに飛び、そこから入るのが便利。1997年にタリン歴史地区として世界遺産に登録されている。

エストニアはSkypeを生んだ国でIT企業も多く、IT教育も盛んなICT先進国となっている。行政手続きのほとんどをインターネットで行うことができる電子政府が確立しており、X-Roadと呼ばれる情報基盤で個人情報を管理し、そのバックアップをルクセンブルグに電子大使館として置くなど、先進的な取り組みが注目されている。2007年に起きたロシア系住民の暴動をトリガーとするロシアからの大規模なサイバー攻撃の被害を受けた経験から、2008年にはNATOのサイバーテロ防衛機関がタリンに創設されている。

城壁と太っちょマルガレータ

タリンの旧市街は13世紀に造られた城壁で囲まれている。度重なる戦火から旧市街が守られたのは城壁のおかげで、所々に赤いレンガのとんがり屋根の塔があり、現在でも20余りが残っている。塔や城壁は小さな博物館やショップになっているので、塔の中に入って当時のままの姿を見ることもできる(写真24)。

【写真24】城壁

【写真24】城壁

タリン港の近くにある一人だけちょっとずんぐりむっくりのこの塔は、「太っちょマルガレータの塔」と呼ばれている。見た目から名付けられたのかと思ったが、かつてここに設置されていた大砲に由来しているという説や、塔の中で働いていた人の名前だったなど諸説あるとのこと。直径25m、高さが20m、壁の厚さが5mという頑丈な造りで、海から来る外敵から街を守る砲台として16世紀に建てられたもの。現在は海洋博物館として公開されており、屋上からは港が一望できる(写真25)。

【写真25】太っちょマルガレータの塔

【写真25】太っちょマルガレータの塔

聖オレフ教会

13世紀に建てられたこの教会は、オレフの塔と呼ばれる高い塔で有名。幾度も火災や落雷で焼け落ち、現在の塔は123mだが、タリンが最も栄えていた16世紀には高さが159mもあり、当時世界で最も高い建造物であったとのこと。250段の細い石のらせん階段を上ると塔の上に上がることができる。礼拝堂も高さがあり、漆喰の美しい空間となっている(写真26、27、28)。

【写真26】聖オレフ教会

【写真26】聖オレフ教会

【写真27】聖オレフ教会礼拝堂

【写真27】聖オレフ教会礼拝堂

【写真28】オレフの塔

【写真28】オレフの塔

アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

旧市街の山の手、トームペアの丘に建つタリンで最も大きな教会。19世紀末に建築されたもので、玉ねぎドームの外観から分かるように元々はロシア正教の教会。エストニア独立後、この教会はロシアによる支配の象徴であったため、取り壊しも検討されたそうだが、現在は観光地としても、当時の歴史を学ぶ意味でも重要な建造物として保存されている(写真29)。

【写真29】アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

【写真29】アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

ラエコヤ(市庁舎)広場

街の中心にある市庁舎を囲む広場は、夏にはお祭りが催され、冬にはクリスマスマーケットが立つ、いつも観光客と地元の人であふれる賑やかな場所。パステルカラーの建物に囲まれた広場の周りには、レストランや土産物屋が並んでいる。タリンの旧市街は迷路のように入り組んでおり、どの街角も美しい街並みが残っている。かわいいショップやカフェもたくさんあり、グルグル歩いていると、やがてこの広場に戻ってこられるので気ままに迷い込んでも大丈夫(写真30、31、32)。

【写真30】ラエコヤ広場

【写真30】ラエコヤ広場

【写真31】街角のカフェ

【写真31】街角のカフェ

【写真32】街角

【写真32】街角

エストニアで泊まったホテルはTelegraphという名前で、昔の電話局だった建物をホテルにしたところ。それは泊まってみない訳にはいかないと滞在したが、部屋には懐かしい電話機があったり、古いガイシが壁に残っていたり、クラシックで素晴らしいホテル。タリンに行くならぜひお試しを。ホテルのレストランはゆかりのあるチャイコフスキーの名前がついており、ナプキンが白鳥と黒鳥になっているセッティングが美しい。旅の最後にちょっと贅沢なディナーを堪能し、バルト三国の旅を終えた(写真33、34、35)。

【写真33】Telegraph Hotel

【写真33】Telegraph Hotel

【写真34】Dinner

【写真34】Dinner

【写真35】白鳥と黒鳥

【写真35】白鳥と黒鳥

バルト三国とウクライナ

バルト三国はどの国も古き良き東欧の街並みが残り、それぞれの文化と歴史を感じられる素晴らしい国々であるが、いずれの国も東西の狭間で翻弄され、度重なる戦禍を被ってきた歴史を持つ。

3国ともロシア系住民が3割程度暮らしており、いまだ解決していない領土問題も抱えている。地理的にもラトビアとエストニアはロシアと、リトアニアはベラルーシと国境を接しており、現在、ロシアの侵攻により戦禍にまみれているウクライナとはNATO加盟国であることを除けば、同じような位置づけにある(地図2)。

【地図2】バルト三国

【地図2】バルト三国
(出典:Google Map)

どの街にも戦争の光と影が色濃く残っており、東と西の接点であることで翻弄されてきた歴史を目の当たりにし、この旅を通して様々なことを考えさせられたが、今まさに歴史が繰り返され、ウクライナは戦禍を被り2022年とは思えない無残な光景が繰り広げられている。その映像を見ながら、リトアニアで人々を救った杉原千畝を思い、同じ日本人として私たちに何ができるのかを問われている気がした。

ウクライナの一日も早い平和の回復と、これ以上被害が拡大しないこと、人命が失われないことを祈り、いつかまたバルト三国と、次はウクライナにも訪れたいと願う。

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