世界の街角から:躍進を続けるシンガポール、 その最新の姿はいかに?
7月上旬、シンガポールに渡航した。昨年9月以来の2度目の訪問である。経済成長が続く同国の最新の姿について書いてみたい。
1.世界ランキング首位のシンガポール航空に初搭乗、その感想は?
筆者は普段は日系キャリア(JAL、ANA)を利用することが多いが、今回は旅の数カ月前に格安のタイムセールを見つけたことから、初めてシンガポール航空を利用した。同社はSKYTRAX社の2023年版の「世界最高の航空会社」で第1位に輝いたばかりだが、通算でも5回の首位を誇るトップ争いの常連である。そんな噂を昔から聞いていたので、長らく一度は利用してみたいと思っていた。
搭乗した感想を一言でいえば、「気配りが行き届いているが、それがさりげないので、気を使わなくて済む」というところである。そのようなアットホームな雰囲気も素晴らしいが、それ以上に評価したいのは、搭乗前、搭乗後も含めた旅程全体のフォローシステムの秀逸さである。同社のモバイルアプリ(Krisflyer)を利用するとタイムリーに必要な情報が送られてくる。そして、知りたいこと、やりたいことが過不足なく、かつ分かり易く整理されている。それらは空港やケータリングなどの実体システムと連動しているが、その実体部分が洗練されているのが、シンガポール航空(さらには国としてのシンガポール)の特筆すべき点である。
それを示す例として、チャンギ空港の先進性についてお伝えする。
2.チャンギ空港の出入国はほぼ無人化、まるでSFの世界
シンガポール入国に際しては注意すべき点がひとつある。それは事前に入国カードをオンラインで登録しておくことである。その作業は入国日の2日前から、世界中のどこからでも、また、どんな端末(スマホや自宅PCなど)でも行うことができる。これを忘れると、紙の入国カードは用意されていないので、チャンギ空港で慌てて入力する羽目になる。落ち着いていれば10分足らずでできることだが、多くの人が空港の片隅に置かれたタブレット端末で悪戦苦闘している姿を見かける。入力項目は従来の紙ベースの入国書類とほぼ同じだが、メールアドレスと携帯電話番号は必須である。問題なく登録が終われば、直ぐに通知がメールで送られてくる(図1)。これさえあれば、後述のように空港の入国審査は2~3分であっという間に終わる。
余談だが、シンガポールは薬物取引に対する刑罰が非常に厳しいことで知られている。実際、メール送付されてくる書類にも、「法律により、薬物売買は死刑に処せられます」と明記されている(図1)。
チャンギ空港は世界有数の忙しい空港だが、混雑からは基本的に無縁である。その理由は、写真1が物語っている。ここに並んでいるのは完全自動の入国審査機である。到着客は奥の側からこの機械のゲートを通って手前側に入国するが、そこでやる作業は「パスポートを挿入する」、「顔認証画面を見つめる」、「両手の親指を指紋読み取り画面に置く」という3つだけである。対人のやり取りは全くない。問題がなければ、ものの数分で入国が完了する。
写真1は実際に筆者が入国後に振り返って撮った光景であるが、繁忙時であるにもかかわらず、右側に数人の列ができているだけである。そして、手前には少数の入国管理官が控えているが、彼らの仕事は監視だけであり、はた目には暇そうにも見える。ロボットのような白い無人機がずらっと並び、手前に黒い制服の人々が控えている光景を見て、筆者は心の中で「スターウォーズのようだ」とつぶやいたのである。昨年9月の入国時には、この機械ごとに管理官がいて、事前入力された入国情報をモニターで見ながら、「親指を置いて下さい」などと指示していたが、今回はそれが完全自動化されていたので驚いた。現地在住の知人によれば、このシステムへの移行はここ数カ月以内のことらしい。
出国時の対応も、同じような機械でほぼ無人化されている。出国を含む飛行機搭乗時には、保安検査場が混雑することが多いが、チャンギ空港はその問題も解決済みである。何と、保安検査場が出発ゲートごとに設置されているのである(写真2)。搭乗便の人数しか集中しないため、混雑する度合いは格段に低い。早めにゲートに行って、椅子に座って混雑度を見ながら検査に臨むことが可能である。多数の検査場への要員配備は大変だろうが、それは効率的なシステム管理で乗り切っていると思われる。混雑度が低いため、保安要員のチェックもより細かく(厳しく)行われている印象であり、搭乗する身としては安心感が高い。
ただし、この方式にはひとつだけ問題がある。検査場を抜けた待機スペースにはトイレがないため、行きたくなった場合は「すいません」と言って検査機の横を通してもらい、用が済んだら再び検査を受けて入場し直さなければならないのだ。さすがのチャンギ空港でも、数十あるゲートごとにトイレを用意する余裕はなかったようだ。
以上、もともと世界最先端と評価が高かったチャンギ空港だが、完全自動化、完全合理化に向けて、飽くなき前進を続ける姿勢に感服したところである。
3.この10カ月間でエコ化が格段に進化していたホテル
今回は昨年9月も利用したマリーナベイ地区のホテルに宿泊したが、その間に大きくエコ化が進んでいた。例えば、昨年は部屋のミニバーの上に置かれていた無料のミネラルウォーターのペットボトルが無くなっており、その代わりに洗面所に浄水器が新設されていた。部屋の冷蔵庫には宿泊者数分のガラスのタンブラーが入っており、それに浄水を自分で注いで飲むという方式である(図2)。ホテルの説明ラベルには「Refill, Reuse, Reduce(何度も注いで、再利用して、資源を削減)」と書かれていた。最後には、しっかり「同じボトルを購入したい人は、フロントまでお申し付け下さい」と付記されていたが、それも微笑ましかった。
また、このホテルでは、歯ブラシが毛の部分も含めてすべて竹製であった。毛は太目であり、使用中に1、2本抜け落ちるなど品質は今一つであったが、それでも「エコのためなら我慢しよう」という理解が広まっているのだと感じた。最近は、エコ投資の度合いが企業(ホテル運営会社)の資金調達に影響する時代なので、顧客だけではなく投資家の評価を気にした取り組みなのかもしれない。なお、別の日に泊まったオーチャード地区のホテルでは、歯磨き粉のチューブもオール紙製(写真3)という徹底ぶりであった。
以上、「シンガポールのエコ度合いは凄い」と書いてきたが、最近は日本のホテルもそうなっているのかもしれない。その検証はしていないので、シンガポールがこの点で日本より進んでいると断定するのは保留しておこう。
4.ノー「Grab」(配車アプリ)、ノーライフ
シンガポールは物価がチューリッヒと並んで世界一高いと認定されているが、昨今の円安も加わって、日本人観光客にはとても出費のかさむ国である。何を見ても、円換算すると日本の1.5~2倍近い価格の品々、サービスばかりだ。1シンガポールドルの円換算値が過去15年間に約60円から120円に倍増したことを考えると、それもやむを得ない。そんな物価高のシンガポールでも、日本と比べて割安と思えるものが2つある。それは、タクシーとホーカーズ(屋台村)である。その2つがあるからこそ、富裕層ばかりではなく、多くの中産階級が支える国が成り立っているのである。
タクシーは配車アプリGrabの普及が進んでおり、とても便利である。シンガポールは地下鉄やバスが高度に発展した国であるが、住民はもちろん、観光客にとってもGrabは必須のサービスであり、それがないと途方に暮れるくらい移動が不便になる。最近は日本でも配車アプリの利用が進んでおり、筆者もよく利用するが、Grabは以下の点で日本のサービスと異なっている(図2)。
- 最初に乗車地と降車地を入力し、走行ルートと料金が示された後に配車を依頼する。
- 車種は大きさ、乗車定員、グレードが多様であり、それに応じた複数料金の中から選択する。
- 運転手の服装や見かけは様々であり、入れ墨や髭を伸ばした人も多い。ただし、性格の違い(明るい、寡黙など)はあっても紳士的な応対である。
- タクシー会社に所属していると思われる車は少数であり、個人が自分の車を使ってサービスを提供している。
図2のルート図の2点間の直線距離は約5キロであり、東京駅から表参道駅の距離と同じである。それがプレミアム車で2,800円、スタンダードで2,000円程度である。ネット上のタクシー料金計算サイトによれば、東京~表参道は目安で2,400円(流しを拾った場合)であるが、渋滞により料金が上がっていく可能性が高い。Grabの料金が事前の完全固定制(配車料含む)であることを考えると、やはりシンガポールのタクシー料金は「格安ニッポン」よりも低廉なのである。それが、市街地であればほぼ5分以内に呼べるメリットは大きい。日本ではライドシェアをはじめとするタクシー制度改革議論がなかなか進まないが、ハイランクの政策立案者がシンガポールのような先進事例(どの国でも良いが)を訪れて、従者を連れた視察者としてではなく、いち旅行者としてタクシーを呼ぶ経験をすれば、一気に議論が大きく進むのではないだろうか。そんな旅行は無理かもしれないが。
5.ミシュラン認定店が目白押し、食のワンダーランド、ホーカーズ(屋台村)
食の屋台を集めたホーカーズは、シンガポール名物の中でも最も名高いものである。実際、街のいたるところに十数店舗のバラエティに富んだ屋台(実際は小店舗)を集めたホーカーズが存在する。多くは屋内のクーラーが効いた快適空間である。その規模や多様さは、日本のフードコートとは比べ物にならない。共働きの多いシンガポールの外食比率は日本よりずっと高く、全食費支出の60%以上を外食費が占めるようだが(日本の倍)、それを支えているのがホーカーズなのである。
ホーカーズを見て歩くと、めくるめく食材(日本人には謎のものも多い)に目移りして、「胃袋がいくつあっても足りない」という思いになる(写真4)。その料金は概して安価であり、単品ならば千円前後、色々と組み合わせても二千円でお釣りがくる。味も「安かろう、まずかろう」では決してない。たまには外れや、口に合わない店はあるかもしれないが、日本で言えば「食べログ3.5以上」に匹敵する店が目白押しであり、ミシュラン指定(ビブグルマン、さらには星付き)の店も少なくない。筆者はオーチャードの伊勢丹に隣接するFood Operaというホーカーズで昼食を取ったが、かなりの時間迷った末に、「Kam's Roast Express(ION)甘牌燒味」という店(写真5)で「鴨肉の煮込み付き汁なし麺」を食べた。香港にあるミシュランの星を9年連続で取っている有名店が出店する屋台である。値段は1,200円程度であったが、味が素晴らしかったのは言うまでもない。
次回のシンガポール訪問時には、是非とも今回食べられなかった店(何店もある)を巡りたいと思っている。
6.インド人街の激安スーパー、日曜夜は異空間
日本人観光客が宿泊するホテルでは、シンガポールの富裕層とおぼしき人々が優雅に午後ティーを楽しむ姿を目にする。それに対して、ホーカーズやGrabを利用するのは、同国の大半を占める中産階級である。今まで書いてきたのは、そんな人々の世界だが、同国の発展を支えているのは間違いなく外国人労働者である。彼らの姿は工事現場、ビルメンテナンス、保育園などのあらゆる場面で目にする。工事現場で見かけるのは、南アジア、中近東から来た男性である。他方で、フィリピンやインドネシアから働きに来ている女性も多い。その多くは、メイドやベビーシッターである。彼ら、彼女たちは集団で行動することが多く、一般のシンガポール人とは別世界を築いている。筆者は日曜日の昼のオーチャード通りを散策したが、伊勢丹、高島屋の前の歩道には多くのフィリピン系と思われる女性たちが座り込んで歓談、会食していた。この光景は以前に香港の公園で見たことがあるが、世界中でお馴染みのようである。
しかし、別世界の筆頭と言えば、リトルインディアにある激安の巨大スーパー「ムスタファセンター」を挙げる人が多いだろう。そこに買い物に来るのは、大半がインドを中心とする南アジア系の人々であり、男性比率が圧倒的に高い。そして、その別空間は日曜夜に特に異彩を放ち、まさに異空間という趣になる。彼らの唯一の休みが日曜日であるため、まとめ買いの人が殺到するのである。ムスタファセンターは激安のお土産が手に入るので、日本人観光客にも有名である。筆者は現地在住者から「ごった返すので平日の昼に行った方が良い」とアドイバイスされたが、どうしても日程の都合で「日曜夜」しか選択肢がなかった。館内に入ると、噂通りに満員電車並みの混雑であり、人、人、人の波(95%は男性)を体を斜めにしながら通り抜けるしかなく、陳列棚に近づくのは至難の業であった(写真6)。
こんな別空間、異空間の存在するシンガポールだが、そこに集う人々は穏やかで楽しそうにも見える。そして、その空間では犯罪はほとんど存在せず、観光客の一人歩きも問題ない。治安が日本よりも良いと評判の同国の面目躍如である。何故、そうなるのか。本稿の結びでその理由を書いておこう。
7.徹底した階層による住み分け、でも皆がハッピー
シンガポールの外国人労働者は期間限定の出稼ぎ労働者であり、同国民と扱いが異なることが多い。家政婦用就労ビザで働いている人は、同国内で子供ができると国外退去になる。定住させないという政策である。そのような根源的な差異とは別に、日常的にも驚くことに出くわす。例えば、道を車で走っていると、彼らを荷台に何人も乗せたトラックを頻繁に見かける(写真7)。規制の厳しいシンガポールでそんな危険な運搬が許されているのは意外だが、労働者の効率的な輸送手段として特例的に認められているようだ(人数などの細かいルールは定められている)。外国人労働者の権利を守る団体から禁止要請が出たものの、運輸省はこの特例を維持する決定を2023年に下している。「彼らは人ではなくモノと見なされている」と揶揄する向きもあるが、国の発展、維持のために規制を柔軟に運用するという方針なのだろう。
シンガポールは効率的で固い国と思われるかもしれないが、このような柔軟性は随所で見られる(賛否両論あろうが)。工事現場の労働者の姿を観察すると、1人で済む仕事を2、3人で行っているように見えることがある。1人は手を動かしているが、残りは見ているだけである。仕事に追いまくられて疲弊している様子はない。また、今回の旅で最も驚いたことのひとつが、セブンイレブンに入ろうとしたら「夕食で閉店中」という看板が掛かっていたことである(写真8)。思わず「開いててよかった、とちゃうやん!」と突っ込みたくなったが、ゆっくり食事をしている店員は幸せだろうなと感じたものである。日本では数年前、コンビニの営業時間を本部が厳しく統括して、現場と対立しているというニュースが大きな話題となったが、それとは別世界である。
以上のエピソードは、日本では考えられないものが多い。国民性の違いに基づく部分もあるかもしれないが、経済成長が続き、お金が皆に行き渡っているからこその証のような気がする。そのような金銭配分が階層に応じて概ね平等であると思われているのは、政策の成功によるものだろう。ある程度の余裕を持って仕事をして、国にいる多くの家族を養うことができる(相対的に)高水準の賃金を保証されるのであれば、シンガポールでの多少の苦労も意に介さないのであろう。「始めよければ終わりよし」ではなく、「お金回ればすべてよし」ということであろうか。
シンガポールも高度成長期から徐々に安定成長期に入り、移民問題を含めた今までの政策を維持できるかどうか注目されている。すべての人種、階層、立場の人々が共存共栄する国を目指す同国の姿を今後も追い続けていきたい。
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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