クッキーレス時代のCX
メーカーや通信キャリアへ販売員の店舗派遣を依頼せず、自社社員で店頭販売を行っている家電量販店がある。私ごとではあるが、家電を購入する際には、その家電量販店の特定のX店のA社員に相談して購入することが多い。エアコンを購入した時も、そのA社員は、私のニーズをよくヒアリングしてくれた。私のニーズは「暑い夏の夜、静かに、穏やかに寝ることができるエアコン」それに尽きたのだが、その観点から特定のメーカーに偏ることなく、各メーカーの各機種について、的確な比較説明を懇切丁寧にしていただいた。それだけではない。その上で、その他の選択ポイントである省エネ性能や各種機能について、選び方のポイントを付け加えてくれた。いつも相談しており、わが家の間取りや構造なども覚えてもらっているので無駄な機種等の説明はもちろんない。とても気が利いている。ごく当然な対応と言ってしまえばそうだが、ショッピングをしていて会話がはずみ、楽しく、感動すら覚える。帰り道で、妻と二人で感心して話が尽きない。私のプライバシー情報を提供しても不安はない。不安どころではない、楽しいショッピングのために率先して提供し、相談したくなる。顧客と企業との間で信頼関係が構築され、企業から付加価値が提供されている状態であると考える。私は完全にリピーターであり、ロイヤルカスタマーである。A社員の頭の中にはプロ意識とともに、付加価値を提供するための様々な知識や顧客の情報が整理された、いわばマーケティング基盤ができあがっていると考える。
ご存じのとおり、デジタルマーケティングに不可欠であるサードパーティクッキー[1]が利用できない「クッキーレス時代」が近づいている。少しおさらいをしておくと、2018年にEUでGDPR(一般データ保護規制)が発行され、クッキー[2]が個人情報と認定され、その取得には同意が義務付けられた。同じ年にカリフォルニアでもGDPRと同等なCCPA(カリフォルニア州消費者プライバシー法)が成立した。日本でも2022年に個人情報保護法が改正され、2023年には電気通信事業法が改正され施行された。各規制には様々な違いはあるものの、クッキーを利用する場合にはユーザーの同意を得なければならない点が共通のポイントとなっており、今後はその利用の制限がさらに厳しくなることが予想される。また、プラットフォーマー等も、2017年にAppleがITP[3]によるサードパーティクッキーの利用制限を開始し、Googleも利用制限に向け検討している等、事業者独自での利用制限や代替策の提示もさらに進むことが予想される。
クッキーの活用は、例えば各種サイトやSNSへの再訪問時にID・パスワードを入力せずにログインできたり、ネットショッピング中に商品をカートに入れた後の再訪問時にカートに商品が入っている状態でリスタートできたりする等、本来はユーザーの利便性向上のためのものであった。しかし、各種サイト側(企業側)もクッキーを用いて、アクセス解析、広告の成果計測、閲覧履歴に基づくレコメンデーションなどに活用できることから、デジタルマーケティングにおいても活用されるようになった。ユーザーの見えないところで各サイトのサービスレベル向上等のために活用されるならまだしも(なんとなく気持ちは悪いが)、リターゲティング広告(例えばAサイトを訪問したユーザーがBサイトに移動しても、Aサイトで見ていた商品の広告が表示されること等)に至っては、マーケティング効果は絶大であったとしても、ユーザーの心情に対して、個人情報の扱いに対する疑問や不安、さらには恐怖心や怒りの感情を誘発してもおかしくない。ひいては、その企業への信頼関係にも影響し、企業側にとって望ましい結果にならないのではないかと常々考えていた。また、クッキーの利用は、セッションハイジャック[4]、ソーシャルエンジニアリング[5]、トラッキングクッキー[6]等の犯罪や悪用につながることがある点も見落とせない。サードパーティクッキーを利用したデジタルマーケティングはCX向上に本当に役立っていたのか、しっかりと検証することが必要だと考える。
以上より、クッキー(特にサードパーティクッキー)の利用制限が進む「クッキーレス時代」がまもなくやってきて、これまで効果をあげていたデジタルマーケティング施策を利用できない状態となる。そのため、企業側としてはその代替戦略・戦術について検討をしなければならない。プラットフォーマーや大手SNS事業者等から代替策が提示され始めており、そのような最新のマーケティングツールの情報を取得して検討することも大事である。だが、やはり基本に戻り、顧客と企業の信頼関係をしっかりと構築したうえで、冒頭の家電量販店のA社員のように、付加価値を提供するためのマーケティング基盤を、企業としてシステマチックにしっかり作り上げていくことが重要だと考える。その上で、本当の意味での感動CX等の付加価値をしっかりとユーザーに届ける努力をして、自社サイトに集まるユーザーを増やし、ナーチャリング[7]を強化することが必要になっていくと思われる。企業内では様々な販売チャネルにおいてユーザーとのコンタクトポイントでの情報が共有されるマーケティング基盤ができているだろうか? SNSの活用や会員制等の仕組みにより自社サイトに集客する仕組みは十分だろうか? ポップアップツールも単なるクッキー取得の同意をとるための守りとしての活用だけでなく、もっとユーザーに価値を提供するなかで、喜んで同意してもらえるような攻めのツールにならないのか? チャットボットによる応対は単なる人材不足対応だけでなく、気が利いて感動すら生むような仕組みにならないのだろうか? ゼロパーティデータ[8]やファーストパーティデータ[9]を直接、ユーザーから戦略的に収集しクッキーレス広告やLPO[10]等に有効に活用する方法もしっかり考える必要があるのではないか? 検討することは多々あるように思える。
もうひとつ追加すると、これも、だいぶ浸透してきたが、NPS®(Net Promoter Score)[11]による顧客ロイヤルティの測定を企業内の組織別・製品別・ユーザー層別に定期的に行うことが重要なポイントである。NPS®は「あなたは当社の製品・サービスを友人や同僚にどの程度推奨したいと思いますか?」という質問に答えてもらうものだが、「どの程度満足していますか?」という顧客満足度調査とは異なり、そのユーザーの積極的な行動を確認し、答えるユーザーには責任感の感情が発生するため、企業の成長や収益性と強い相関があることが知られている。また、数値化されたスコアだけでなく、顧客の生の声も併せて収集することで、課題を特定し改善につなげることが重要である。NPS®の推奨者に対してはその理由を確認し、担当組織や担当者にフィードバックし称賛するとともに、更なる改善を促すことが重要であるし、批判者に対してもその理由を聞き、それを徹底的に除いていくことが必要である。地道ではあるが、ユーザーとのコンタクトポイントにおいて社員の意識をあげることが、CXの向上には欠かせないため、この地道なPDCAを組織的に全社をあげて高速に回転させることがユーザーの感動体験を生む源泉になると考えられる。そのため、魔法のような手段に依存することなく、原点に戻り、ユーザーとの間の信頼関係の構築からスタートするべきなのである。
[1] ユーザーが訪問しているWebサイトとは異なるドメイン(ホスト)から発行されるクッキーのこと。具体的にはインターネット上に蓄積された様々な情報データを収集・管理するプラットフォームを運営するDMP(Date Management Platform)事業者が収集した不特定多数のクッキー情報のこと。ネット上でのユーザー行動を高精度で把握し、効果的なマーケティング活動を可能とする。
[2] Webサイトがユーザーのデバイスに保存する小さなテキストファイルのこと。このファイルには、訪問日時、閲覧履歴、ログイン情報などのデータが記録されており、再訪問時にこれらの情報を用いて、ログイン手続きの省略やパーソナライズされた広告の表示など、ユーザーの利便性向上のために活用される。
[3] ITP(Intelligent Tracking Prevention)Apple社が提供するSafariブラウザにおいてCookieを規制し、トラッキング(追跡)を防止する機能。
[4] 悪意のある第三者がクッキー情報に含まれるセッションIDを盗み、ユーザー本人になりすまし、ログインして不正な行動をすること。
[5] ログインに必要な重要情報を、情報通信技術を使わずに盗み取ることで、例えば共用のパソコンでクッキーを利用してログインが可能となっているサイトを不正利用すること。
[6] サイトにアクセスしたユーザーのクッキーを利用してその後の行動を追跡すること。
[7] 見込み客を育成して商品・サービスの購入意欲を高めたり、既存顧客をリピーターやロイヤルカスタマーにすることで、例えばメルマガやセミナーなどを活用してコミュニケーションを強化し、購買意欲を高めたり再購入を促すことをいう。
[8] ユーザーがアンケートに答えたり、自身のプロフィールを入力したりすることで企業に自発的・積極的に共有する情報のこと。クッキーレス時代において効果的なマーケティングに重要な役割を果たすと言われている。
[9] 自社ユーザーの住所、氏名、購買履歴、Webサイトの閲覧履歴等、企業が第三者を介さずにユーザーから同意を得て、直接、収集し保管している情報のこと。
[10] ユーザーのニーズに合わせてLP(ランディングページ)を改善することで、CVR(コンバージョン率)を向上させるマーケティング手法のこと。
[11] 米国のBain & Company社が提唱し、多くの企業で使われている顧客ロイヤルティを測る指標で、顧客が企業の製品やサービスを他者に推奨する可能性を数値化したものであり、企業の成長や収益性と強い相関があることが知られている。具体的には、「あなたは当社の製品・サービスを友人や同僚にどの程度推奨したいと思いますか?」という設問に、0〜10段階で評価してもらい、回答者は「批判者(0〜6点)」「中立者(7〜8点)」「推奨者(9〜10点)」の3つのグループに分類される。NPS®スコアは、推奨者の割合から批判者の割合を引いた値となる。
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