2022.11.29 ITトレンド全般 InfoCom T&S World Trend Report

未来のお金を考える

2021年、新五百円貨幣が発行された。新たな偽造防止技術が取り入れられ、よく見ると変わっている部分が多々あるのだが、キャッシュレス決済が徐々に浸透してきたこともあり、そのことに気付く機会も減っているようだ。さらに2024年には新紙幣が発行される予定となっている。2019年、第一生命経済研究所が、新紙幣・硬貨発行に伴う特需は直接額で1.6兆円と試算[1]しているが、その後のコロナ禍による社会環境の変化などを背景としたキャッシュレス決済の拡大により、それよりもかなり減少するのは間違いないだろう。そして、現金での支払いが基本となっている賃金の支払い(銀行口座への振り込みは労使双方の便宜を考慮した合意の上での措置)について、キャッシュレス決済事業者を想定した資金移動業者の口座への支払いも2023年4月から一定の条件下で認められることになった。本稿では、現在の規制や技術的な制約にとらわれず、数十年後のお金について考察してみる。

多くの国で、中央銀行デジタル通貨(CBDC:Central Bank Digital Currency)の研究や検証が進められている。IMFが2022年9月に発表したレポートによると、CBDC自体は古くからある取り組みで、1992年12月にフィンランドで最初のCBDCであるAvantがスタートした[2]。当初はAvantをチャージした使い切りカードとして、その後再チャージ可能なカードが発行されたが、ATMや小売店などでのチャージに手間がかかったり、コスト負担のため有料化されたりしたこともあって長続きはしなかった。しかし、スマートフォンが普及しキャッシュレス決済が当たり前になってきた現在、世界では2カ国(ジャマイカ、バハマ)で正式に開始、13のパイロットプロジェクト、20の実証実験プロジェクト、86の研究プロジェクトが進められている(中止されたプロジェクトは6)[3]。今後ますます取り組みが加速していくものと思われる。

日銀も、2020年10月に発表したリリースで、「現時点でCBDCを発行する計画はないが、決済システム全体の安定性と効率性を確保する観点から、今後の様々な環境変化に的確に対応できるよう、しっかり準備しておくことが重要であると考えている」とし、2021年4月からCBDC に関する実証実験を開始した。そして、2022 年3月までに、CBDC の基本機能の検証を目的とした「概念実証フェーズ 1」を完了し、より複雑な周辺機能の実現可能性を検証する「フェーズ2」に4月から移行している。個人や企業が広く利用することを想定した一般利用型のCBDCを想定し、「ユニバーサルアクセス」、「セキュリティ」、「強靭性」、「ファイナリティ」や「即時決済性」などが具備すべき点として挙げられている。日銀は、中央銀行と民間部門による「二層構造」を通じて発行されること(間接型の発行形態)が適当とし、その前提でフェーズ1では、台帳の管理主体と「口座型」か「トークン型」かによって3つのパターンに分け実証実験が行われた。詳細は日銀のリリース[4]にあるが、シナリオによってはレイテンシやCPU使用率の極端な増加が見られるなど、本番環境の構築に向けた課題はかなり多いようだ。

一方、中国の取り組みは日本や欧米と比べても進んでいる印象だ。2014年から取り組みを開始し、2016年にはデジタル通貨研究所を設立して第一世代のデジタル通貨のプロトタイプを開発、2017年末には国務院の承認を得て、商業銀行と共同で開発と試験を始めている。さらに2019年末から実証実験の取り組みを開始し、深セン市、蘇州市、雄安新区、成都市と、2022年冬季オリンピックを最初の実証実験地区として選定、2020年からは実際の利用が行われている。実験内容も、スマートフォンを利用した店舗での支払いの他、カード型のウォレット、ATMとの連携など幅広く、対象地域も順次拡大されており、2022年7月には、実証実験の地区を23地域にまで拡大すると発表された[5]。2022年5月末時点で、累計で2億6,400万回、830億人民元(約1兆6,600億円)の取引が行われ、利用できる加盟店は456万7,000に達している。中国人民銀行が2021年7月にリリースしたレポート[6]によると、デジタル人民元のシステムは集中型のアーキテクチャーと分散型のアーキテクチャーのハイブリッドで構成されており、拡張性とレジリエンスに優れているとしている。

こうした中国での取り組みに刺激されたこともあり、G7を始めとする欧米各国も取り組みを強化している。しかしながら、近い将来紙幣や硬貨からデジタル通貨に完全に置き換わることはないと考える。その理由を記す前に、まずCBDCによってもたらされるメリットとデメリットを整理してみる。具体的なメリットとしては、決済時の利便性向上や偽造通貨対策、AML/CFT(マネー・ローンダリングおよびテロ資金供与防止対策)、金融包摂の推進、通貨発行・維持管理コストの削減、決済情報の容易な収集と活用、その他デジタル化によって多様な付加価値サービスとの連携が容易となることなどが挙げられ、新たなビジネスが創出される可能性も十分に期待できる。さらには、デノミネーションや、(実際に可能かどうかは別として)現実の通貨では不可能な名目金利をマイナスにするなどの各種経済政策の実施も、デジタル通貨の導入によって可能もしくは容易となるだろう。加えて、専制主義国家においては、民間企業が決済インフラを握るような状況に陥らないよう国家としてコントロールしておくためにも重要となる。一方、デメリットもある。まず、デジタル通貨への切り替えや利用に対する心理的な障壁が大きいと感じる利用者も多いと思われる点だ。デジタル通貨の利用には、現時点ではスマートフォンなどを使用することが想定されているが、スマートフォンを使わない高齢者などにはハードルが高く金融包摂の推進に逆行する。さらに、セキュリティについても大きな課題がある。世の中には完全なシステムは存在せず、すべてのシステムは様々なリスクを抱えている。経済の根幹となる通貨システムであれば、絶対に停止したり、想定と違う動作をしたりしてはならないが、その可能性を限りなくゼロに近づけようとすると莫大なコストがかかる。現在開発や実証が進められているシステムに影響を及ぼすような、全く新しい技術が将来開発されることも想定しなければならないだろう。そうした点を考慮すると、仮にCBDCが導入されたとしても、完全に代替することは難しいのではないだろうか。

既に多くのキャッシュレス決済事業者が事業を拡大しており、CBDCの導入を待たずとも現金を手にする機会は減っている。前述のとおり、日銀は、CBDCについては、中央銀行と民間部門による「二層構造」を通じて発行されること(間接型の発行形態)が適当と考えている、としており、銀行等を想定した民間の仲介機関と連携したシステムの構築は、セキュリティの点からも新たなビジネス創出の点からも重要で、市場全体で議論を進めていく必要がある。また、高齢者などIT機器の利用が困難な人にもやさしいものとし、災害の多い日本においてレジリエンスを高めることも重要だ。マイナンバーカードを活用する等により、利用が容易で、災害時でもスタンドアローンで価値の移転(決済や送金)ができるようなシステムが望ましい。こうしたことを考慮すると、CBDCを手にする(実際に手にすることはないわけだが)日は、かなり先のことになると思われる。

経済の根幹をなす通貨システムは、民主主義国家として利用者である国民の理解を得ながら慎重に検討を進める必要がある。一方で、こうしたプロセスを経なくても開発や導入を進められる国に、国際市場でリードされないようにするためにも、早急な議論の広がりを期待したい。

[1] https://www.dlri.co.jp/pdf/macro/2019/naga20190409shihei.pdf

[2] https://helda.helsinki.fi/bof/bitstream/handle/123456789/17590/BoFER_8_2020.pdf

[3] 2022年11月2日時点 https://cbdctracker.org/

[4] https://www.boj.or.jp/announcements/release_2022/rel220513b.pdf

[5] http://www.gov.cn/xinwen/2022-07/13/content_5700838.htm

[6] http://www.pbc.gov.cn/en/3688110/3688172/4157443/4293696/2021071614584691871.pdf

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