2023.5.11 InfoCom T&S World Trend Report

ICT雑感:「させていただく」について、書かせていただきます。

イラスト出典:「イラストAC」

(それはもう30年ほど前、かつての職場でまだ若手の一職員だった頃のこと。外部からやって来た幹部の方の職員向けの就任挨拶を聴いた。

「このたび〇〇に就任させていただきました△△でございます……国民の皆様の声に耳を傾けさせていただき、職員の皆様のお支えをいただきながら、真摯に職務を務めさせていただきたいと存じます……」

昔のことで正確に覚えているわけではないが、こんな感じの挨拶だったと記憶している。「させていただく」への違和感を自覚した瞬間だった……。)

いわゆる「日本語の乱れ」、特に敬語の使い方の乱れについて、世の中でいろいろな言及がされていますが、その中でも特に取り上げられるのが、「させていただく(させていただきます)」という言葉のように思います。文法的には、使役の助動詞「させる」と恩恵を受ける意味を表す補助動詞「いただく」を助詞「て」でつないだ形であると思われますが、ふさわしくない場面で使われることが多いと批判の的になりつつ、さまざまなシチュエーションでますます多用される傾向にあるようです。

「させていただく」という言葉自体はそんなに新しいものではなく、150年前頃にはあったようですが、頻繁に使われだしたのは1990年代以降で、ここ30年くらいブームが加速しているとのことです。

冒頭に記したとおり、私自身この表現への違和感を覚え、できるだけ使わないようにしてきたつもりですが、最近、通信制の大学の講座で日本語学の初歩を受講し、その中でこの言葉が取り上げられていたことで改めて興味を持ち、専門の先生方の著書や論文をいくつか読んでみました。それらによると……

言葉は時代の流れの中で少しずつ変化していくもので、日本語も当然そういう運命にあります。その中で、敬語表現も例外ではないのですが、敬語には、使われているうちに経緯がすり減る「敬意漸減」という宿命があり、そのすり減った敬意を補うために、表現が付加されたり、新しい敬語が生まれたりするという歴史を辿ってきています。

例えば、自分が誰かに何かの恩恵を与える場合、古くは「~(し)てやる」であったのが、次第に恩着せがましさが感じられるようになり、「~(し)てあげる」、「~(し)てさしあげる」と丁寧さを加えてきたが、最近はそれでも尊大さが感じられるようになって、表現としては廃れる傾向にあるそうです。

敬語について、学校では、(1)尊敬語、(2)謙譲語、(3)丁寧語、の3種類があると学びました。しかし現代における変化は公式にも認められていて、2007年の文化庁・文化審議会の答申「敬語の指針」では、敬語の種類として、(1)尊敬語、(2)謙譲語Ⅰ、(3)謙譲語Ⅱ(丁重語)、(4)丁寧語、(5)美化語、の5種類を提示しています。このうち謙譲語Ⅱ(丁重語)は、「明日から海外へ参ります」のように、相手に向かう行為ではなく自分側の行為を丁重に述べる点で謙譲語Ⅰと区別され、また美化語は、「お酒」「お料理」のようにものごとを美化する語で、従来の敬語のカテゴリーとは異なるものです。全体として現在の敬語は、相手を持ち上げる、あるいは自分がへりくだる表現から、自分を丁寧に見せる方向に変化しているようです。

なお、この答申では「させていただく」の使い方にも言及があります。基本的には、自分側が行うことを、ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い、イ)そのことで恩恵を受けるという事実や気持ちのある場合に使われるので、その2つの条件をどの程度満たすかによって、適切な場合とあまり適切といえない場合がある、としています。適切な例としては、「コピーを取らせていただけますか。」(相手が所有している本をコピーするため、許可を求めるときの表現)が上げられています。

では、冒頭の図に掲げた臨時休業のお知らせの場合はどうでしょうか。休業するのが自分側にとっての恩恵と考えると、イ)は満たしているようですが、誰かの許可を取るわけではないと思われるので、ア)は満たしているとはいえないように思われます。「別に俺が休んでいいとOKしたわけじゃないのに、何言ってんの?」と感じるお客がいるとすると、その辺の違和感からでしょう。一方店の側からすると、お客様には申し訳ないがお許しをいただきたいとの気持ちから、このような言い方をするというのもわからなくはありません。

その便利さ、汎用性の高さから、人から言われたときには違和感を覚えつつ、自分もついつい使ってしまうという感じで、相手に恩恵を与える場合であっても相手からの許可と恩恵があるかのように「お送りさせていただきます」などと言うようになり、最近の辞書ではついに、自分の丁寧さを演出する一つの語として助動詞認定されているようです。

今回拝見した専門の先生方の研究や論文では、「させていただく」などの敬語表現が実際にどういう文脈で使われているか、どのような動詞にくっついているか、どういう語尾を伴っているか、それが時代によってどのように変化しているかを、実際の文章の実例から分析されています。そのような分析に使われるデータですが、「コーパス」といわれる、言語の統計的な分析や研究を行う目的で構成された、言語テキストのデータが用いられます。

代表的なコーパスとして、国立国語研究所が編纂した「現代日本語書き言葉均衡コーパス」(Balanced Corpus of Contemporary Written Japanese(BCCWJ))があります。その構成は、書籍、新聞などの出版物から、白書、自治体広報誌、Yahoo!知恵袋やブログのネット投稿などまで多岐にわたっていて、1億語という大規模なデータ群となっています。実際に国内外の日本語研究者に盛んに使われているようで、同研究所のサイトに掲載されている情報によると、公開された2006年からこれまでの間に、1,600件以上の研究に活用されています。この他、同研究所では、話し言葉や方言、古い時代の日本語などさまざまなコーパスが、文字データあるいはものによっては音声や映像データで整備されています。しかもその一部は誰でも無料でアクセスできます。

(出典:国立国語研究所の検索ツール「少納言」の トップページ)

(出典:国立国語研究所の検索ツール「少納言」のトップページ)

後述の一覧に掲載した文献の中で特に参照した椎名美智先生の研究でも、現代のデータとしてはこのBCCWJを、比較対象としての数十年前のデータとしては青空文庫の収録テキストを使っておられます。

BCCWJの構成データの中には「国会会議録」もあります。1976年から2005年までの30年分が収録されていますが、実際に「(さ)せていただく」「(さ)せていただきます」などを拾うために「せていただ」を検索語として検索すると、全部で2,624件がヒットしました。

ところで、国会会議録がコーパスの構成要素となっているということで、俄然調べてみたくなったのが、自分が前職(国家公務員)において答弁で「させていただく」を使ったかどうかです。BCCWJのデータは少々年代が古く、私が実際に国会に出ていた時期は含まれていないので、衆参両院の国会会議録検索システムを当たってみました。ここでは検索語や発言者などを指定して、全時代の会議録の該当部分を探すことができます。

検索してみた結果は次のとおりです。私が国会で答弁に立った回数は全部で143回、うち2回で「させていただ(きます)」と発言しており、まあ少ないほうかなと思います。どんな状況で使ったのか確認すると、「法律の規定も引きながら……」などと、やや紋切り型の答弁のときに、あらかじめお断りを入れる、といった感じです。

(出典:国会会議録検索システムの検索結果の画像。アンダーラインは筆者が付した。)

(出典:国会会議録検索システムの検索結果の画像。アンダーラインは筆者が付した。)

研究者の観察によると、コーパスの各種の構成要素の中で、国会会議録に「させていただく」が出てくる頻度はとりわけ高く、その中でも特徴的な使い方として、答えられないあるいは答えたくない事柄があるときに、相手の許可と自分の謙虚さを演出できる「させていただく」はメリットが大きいとのことです。例えば、「御指摘の点につきましては、現在捜査中の事案ですので、お答えを控えさせていただきます。」といった具合です。

イラスト出典:「いらすとや」

イラスト出典:「いらすとや」

また、政治家の方が「質問させていただきます」、「確認させていただきます」というように多用しているのが目につきます。議員のHPなどWeb上でも、「立候補させていただきました」、「当選させていただきました」といった表現が多く観察されます。これは、実情、実態はともかくとして、間接民主主義のシステムの下で、主権者の代表として選ばれ活動しているという形がそのような言い方を選ばせているのではないかとも想像します。将来時間ができたら、言語学と政治学の中間領域になりそうな、「『させていただく』と政治の言葉」というようなテーマで研究させていただくのも面白いかなと思います。

国会会議録のシステム自体は学術研究を目的としたものではありませんが、実際にこれを言語学の研究素材として論文を発表している人もいますし、Web上の検索で得られる文字データを素材としている人もおられるようです。データ活用の面白い側面を覗くことができました。

(主な参照文献)

  • 『放送大学教材 日本語学入門』(滝浦真人編2020年 放送大学教育振興会)
  • 『「させていただく」の語用論-人はなぜ使いたくなるのか』
    (椎名美智著2021年 ひつじ書房)
  • 『「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ』
    (椎名美智著2022年 角川新書)
  • 『「させていただく」大研究』(椎名美智・滝浦真人編2022年 くろしお出版)
  • 「敬語の指針」(平成19年 文化審議会答申)
  • 『三省堂国語辞典 第八版』(見坊豪紀ほか編2022年 三省堂)

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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