フランスに見るブロードバンド政策の変遷とユニバーサルサービス理念(2)
本稿は「フランスに見るブロードバンド政策の変遷とユニバーサルサービス理念」の2回目です。
2.マクロン大統領時代のブロードバンド政策
(1)光ファイバーの「一般化」と「モバイルニューディール」
2017年5月に就任したマクロン大統領は、欧州デジタル単一市場の実現を旗印に掲げ、元経済大臣という経歴を生かして、就任当時から意欲的に社会全般のデジタル化による行政改革に取り組んできた[1]。そのデジタル行政改革の実現にとって不可欠な社会基盤的インフラを整備すべく、最も単純で明快な目標として取り組むことを表明したのが、「超高速ブロードバンドの全国的なカバレッジ」の達成である。マクロン政権下では、その実現に向けて、固定市場のみならず、モバイル市場においても同様に、超高速ブロードバンドサービス(4G)で全国をカバーする政策を推進し、この2つの分野を車の両輪として強化することを目指したことが特徴的である。実際、欧州諸国の中でも広大な面積の国土を擁し、ドイツ、イタリア、スペインとの国境地帯では標高の高い高地や山脈を抱えるフランスが、光ファイバー中心の固定技術だけで全国を100%カバーすることが困難であることは容易に想像できる。
政府は、2018年1月に、モバイル免許事業者4社との合意の上で「モバイルニューディール(New Deal mobile)」協定を締結した。この協定の目的は、「すべてのフランス国民に高品質のモバイル通信範囲を一般化することを前提に、超高速モバイルサービス(4G)の展開加速と音声/SMS(2G/3G)の接続環境の改善を目指す」ことであった[2]。このため、モバイル免許更新時に事業者負担を軽減する措置と引き換えに、法的拘束力のあるモバイルカバレッジ目標を事業者ごとに詳細に設定した。特に、OrangeとSFRに対しては、2022年までに500カ所の4G基地局の稼働を義務付けるようにした。
同時に、この協定では、まだ一般的でなかった固定無線サービス(4G fixe)の普及拡大を目指す措置が盛り込まれた。その一環として、モバイル事業者4社に対し、政令が指定するサイトに2年以内に固定無線サービスを展開するよう、要請した。この事業者との合意は、マクロン大統領が5年間の任期中の中間地点の目標として、2020年までに「良質なブロードバンドで」全国民をカバーする目標を追加したことに起因する。ここで言う「良質なブロードバンド」とは、下り速度が8Mbps(一般に、ユーザーがビデオ視聴に支障をきたさないレベルの速度)の高速サービスを意味する。政府は、超高速ブロードバンド(30Mbps)を全国展開する途中段階の目標として、2020年までに良質なブロードバンドサービスを国民に提供することは、重要な要素であると考えていた。
この中間目標の達成のため、2019年3月に当時の首相(エドワード・フィリップ氏)は、「光ファイバーが末端まで届かない小村落には、代替ソリューションを利用して下り速度が約8Mbpsのサービスを提供することが先決である」という方針を明らかにした。衛星パラボラアンテナの購入費用を補助するため、指定地域の社会的弱者世帯向けに一定額(受給条件により150~600ユーロ)を間接的に支給する形の「デジタル連帯基金」の導入が決定されたのは、この施策の一環である。
(2)PFTHDの実現可能性
会計検査院の懸念
歴代大統領が国民への公約として定めた超高速ブロードバンドの全国的なカバレッジが2022年までに達成可能かどうかについては、実は、監査機関から懐疑的な見方が出されていた。2017年1月に「会計検査院(Cour des comptes)」は、PFTHD(Plan France Très Haut Débit:フランスの超高速ブロードバンド計画)の経済的評価を最初に公表したレポート(「固定高速ネットワークと超高速ネットワーク:初期評価」)[3]で、当初、政府が200億ユーロ程度と試算した超高速ブロードバンドのインフラ構築資金は、350億ユーロとなる可能性があると指摘した。この上振れの要因は、インフラの初期投資費用を過小評価したためである。同機関によれば、人口密度の低いエリアへの展開費用だけで想定より100億ユーロ多い240億ユーロに達する見込みであり、このままでは、2022年までにすべての世帯を超高速のブロードバンドでカバーする目標は順守されない可能性があるという。また、政府の計画では、顧客との最終接続(「最後の数メートル」)に要する費用が当初から考慮されていないことは、今後の新たな課題である。政府の長期的な目論見は2022年の光カバレッジ目標(80%)の達成後も引き続いてFTTHの敷設を継続し、できるだけ100%に近づけることであるが、民間分野の共同投資が不十分な場合、その実現可能性が懸念される、という見解が示された[4]。
同機関によれば、政府が緊急に対処すべきはデジタルデバイドの解消であり、その証拠に、フランスのネットユーザーの2割は2 Mbps未満のアクセス速度しか利用できないが、一方、13%は20Mbps超の速度を享受しているというデータが確認されているという。この状況を改善するのにあたり、固定アクセスの困難な小村落や孤立した農場を含め、全国津々浦々まであえて光ファイバーで整備する必要はなく、より安価で直ちにFTTHに代替可能な技術(VDSL2、無線、衛星)を活用することによって多額の財政資金の投入を抑えるべきであると同機関は進言した[5]。
この会計検査院の警告を受け取った通信担当大臣(デジタルイノベーション担当大臣:アクセル・ルメール氏)は、「2022年までに30Mbps以上の超高速アクセスを全国民に提供可能にする目標は維持する」と反論した。同大臣は、中央政府が地方自治体に投入した公的資金と比較して、始動が遅れている民間事業者の投資がルーラルゾーンに段階的に到来することを根拠に挙げた。Orangeとその競争事業者であるSFRは、当初からFTTHの推進役として、政府の目標達成のため所定のエリア(大都市圏とルーラルゾーンを除き、人口密度レベルで中間的地域)のインフラ投資を分担することを政府に約束してきた。しかし、両社の展開計画の実施は往々にして遅れ気味であったことから、政府は、事業者が合意した約束事項に法的拘束力を持たせるよう2016年10月に法律を改正し、規制機関ARCEPが約束の履行状態を監視する権限を強化している[6]。
インフラ投資を促進する規制枠組みとOrangeの貢献
ARCEPは、フランスの電子通信市場における独立規制機関であり、正式名称は「電子通信・郵便・報道規制機関(l'Autorité de régulation des communications électroniques, des postes et de la distribution de la presse)」である。ARCEPの重要な役割のひとつは、EU共通の規制枠組みとして導入された「SMP規制」[7]をフランス国内の実情に応じて実施することである。ARCEPはまた、国内の市場環境を分析し、SMP規制以外の規制を課すことができる。同機関は、光ファイバーは、メタル廃止に向けた政府および業界全体の選択の結果であるという共通認識に基づいて、長期的なインフラ競争を目指す規制環境を整備してきた。その具体例として、ARCEPは、「民間イニシアチブゾーン」(民間事業者が競争可能なゾーン)に展開中のすべてのFTTH事業者に一律に、「対称的な」光ファイバーアクセス規制を課してきた。このアクセス規制は、顧客との最終接続セグメントで光ファイバーインフラへの投資リスクを分担する仕組みである。ARCEPは、住宅用FTTH市場の競争状況の分析から、SMP事業者を指定していない。
このインフラ競争重視の姿勢は、最近のEU全体の規制枠組みについても確認されている。2018年12月に発効された「欧州電子通信法典(EECC)」では、「欧州ギガビット社会のためのコネクティビティ(Connectivity for a European Gigabit Society – Brochure)」の一環として、デジタル単一市場を確立するという理念をさらに推進するため、超高速ブロードバンドネットワークの規制環境において、事業者間の共同投資やインフラの共有を容易にする措置が盛り込まれている[8]。
フランスは、EECCの正式な発効前から、いわばEUの範例となって、上記のごとき規制環境の整備に取り組んできたと言えるだろう。PFTHDの策定以来、政府による地方自治体への財政面の援助体制、地域別のニーズに応じた民間事業者の投資努力、さらに、インフラ競争を重視しそれを監視する規制環境は、フランスの光ファイバー市場の成長を促進する重要な要因となった。
ここまで、政府の姿勢や規制環境について論じてきたが、2013年のPFTHDの始動以来、FTTHの推進役を担ってきたOrangeが、どのようにこの事業に取り組んできたのかについても、以下に紹介しておきたい。
Orangeは、2019年12月に、5カ年事業計画「Engage 2025」を発表し、「キャリアとしての本分の再発見」をキーワードに、ネットワーク・キャリアとして国内外で5G事業やFTTH事業をさらに推進していくと表明した[9]。自社のFTTH戦略により、「フランスは今日、ドイツ、スペイン、イタリアに先駆けて、欧州で最も光ファイバー化された国となった」とその成果をアピールした。続けて「ネットワークの近代化はOrangeの戦略の中心である。2030年にはメタルから光への移行が完了する」と述べ、マイグレーションの完了時期を初めて公式に明らかにした。
「Engage 2025」を策定した当時のOrangeのCEOは、2010年から2022年5月まで10年以上にわたり、CEOを務めたステファヌ・リシャール氏である。同氏は、2019年12月に行われた国会答弁において[10]、EU諸国と比較した自国の官民一体のFTTH展開の姿勢と自社の貢献度を強調し、以下のようにスピーチした:「フランスは、FTTHで国土の大部分をカバーする選択を行った。Orangeは初めから推進役であった。この展開は確かに、政策上の意思決定の結果であるが、事業者は仕事を果たさねばならなかった。Orangeは、この3年間で30億ユーロ以上を光ファイバーの物理的展開に投資してきた。この投資努力は今後3年間においても引き続いて実施していくつもりである」。また、同CEOは、フランスと並び、欧州の光ファイバー大国となったスペイン(Orangeは既存事業者Telefonicaの競争事業者として同国に参入済み)と自国の市場の特徴を比較し、「スペインの方が伝統的に自発的であって、市場原理に任せられており、成功の条件が異なる」と分析している。
本誌2025年9月号にて述べたように、ECは2010年に「欧州デジタルアジェンダ(DAE)」情報化戦略を策定したが、その一環として、欧州域内の次世代ネットワークの整備を目的とした行動計画を策定するよう、各加盟国に要請していた。加盟国の取り組み状況を調査した業界紙(FTTH council Europe)によれば、当時、ドイツをはじめ多くの加盟国が目標達成のための接続技術を特定しなかった(これは「技術中立性」の原則に合致する)のに対して、FTTH技術のみを選択したのは、フランスとスウェーデンの2か国だけであったことが、簡潔に報告されている(図1参照)。

【図1】DAE目標に達するためにEU諸国で検討中の戦略的技術的アプローチ
DAE目標に達するための3つのアプローチ:
技術中立性:ドイツ、イタリア、オランダ、ポーランド、ポルトガル、英国
中間的アプローチ:ベルギー、スペイン
FTTHのみ:フランス、スウェーデン
(出典:FTTH council Europe Panorama, 2020年4月23日、下枠内の補足は筆者による)
InfoComニューズレターでの掲載はここまでとなります。
以下ご覧になりたい方は下のバナーをクリックしてください。
(3)経済全般評議会(CGE)の提言
(4)PFTHDの2022年の目標は達成!
(5)会計検査院による最新の評価
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
[1] 詳細は、本誌『InfoCom T&S World Trend Report』339号(2017年7月号)、p.16掲載の拙稿「マクロン大統領の誕生とフランスのデジタル政策」を参照のこと。
[2] ARCEP、2024年2月1日。https://www.arcep.fr/actualites/actualites-et-communiques/detail/n/couverture-mobile-010224.html
[3] https://www.ccomptes.fr/fr/publications/les-reseaux-fixes-de-haut-et-tres-haut-debit-un-premier-bilan
[4] LES NUMERIQUES, 2017年1月31日記事。https://www.lesnumeriques.com/vie-du-net/france-thd-selon-cour-comptes-plan-va-couter-35-milliards-n60033.html
[5] Le Monde, 2017年1月31日記事。https://www. lemonde.fr/economie/article/2017/01/31/le-cout-du-plan-tres-haut-debit-va-passer-de-20-milliards-a-35-milliards-d-euros_5072060_3234.html
[6] 「デジタル共和国に関する法律第2016-1321号」の公布により、郵便・電子通信法典に編纂された第L.33-13条の文言は以下のとおりである。「第L.33-13条:電子通信担当大臣は、事業者が、人口密度の低いエリアの整備およびカバレッジに貢献するとともに、これらのネットワークへのアクセスを促進することを申し出た約束について、電子通信・郵便・報道規制機関と協議した後、これを承認することができる。当該機関はその順守を監視し、第L.36-11条に定める条件に基づいて確認された不履行を制裁する。(以下、略)」https://www.arcep.fr/la-regulation/grands-dossiers-reseaux-fixes/la-fibre/les-engagements-de-couverture-fibre-en-zone-moins-dense.html
[7] 「Significant Market Power(SMP)」を有すると指定された事業者のみを対象として、「非対称な」接続/卸売事業規制を課すこと。
[8] European Commission, 2019年9月23日。https://digital-strategy.ec.europa.eu/en/library/ connectivity-european-gigabit-society-brochure
[9] https://newsroom.orange.com/orange-presente-son-nouveau-plan-strategique-engage-2025/
[10] http://www.senat.fr/compte-rendu-commissions/20191216/eco.html#toc2
当サイト内に掲載されたすべての内容について、無断転載、複製、複写、盗用を禁じます。InfoComニューズレターを他サイト等でご紹介いただく場合は、あらかじめ編集室へご連絡ください。また、引用される場合は必ず出所の明示をお願いいたします。
調査研究、委託調査等に関するご相談やICRのサービスに関するご質問などお気軽にお問い合わせください。
ICTに関わる調査研究のご依頼はこちら関連キーワード
水谷 さゆりの記事
関連記事
-
眠れる資産から始まる未来 ~循環価値の再発見
- ICR Insight
- WTR No438(2025年10月号)
- 日本
- 環境
-
自治体DXを実現するのは”公務員” 〜デジタル人材育成の実態と解決策
- DX(デジタルトランスフォーメーション)
- nihon
- WTR No438(2025年10月号)
- 地方自治体
- 日本
-
世界の街角から:「フランクフルトへの乗客」または、旅の危険とハプニング
- WTR No438(2025年10月号)
- ドイツ
- 世界の街角から
-
都市農業(アーバンファーミング)におけるICT利活用の現状と未来展望
- ICT利活用
- WTR No438(2025年10月号)
- 日本
- 農業
-
サイバネティック・アバター(CA)と選挙運動〜サイバネティック・アバターの法律問題季刊連載第二期第2回
- WTR No438(2025年10月号)
- メタバース
- 仮想空間
InfoCom T&S World Trend Report 年月別レポート一覧
ランキング
- 最新
- 週間
- 月間
- 総合