2025.12.18 InfoCom T&S World Trend Report

世界の街角から:「欧州のパタゴニア」、世界自然遺産ドロミテアルプスはやっぱり凄かった

【写真1】ポルドイ峠のロープウェイ乗り場(戦争博物館を併設) (出典:文中掲載の写真は、すべて筆者撮影)

1.「パタゴニアはあまりに遠し」で、ドロミテアルプスへ

昔から南米パタゴニアに憧れていた。日本から見て地球の裏側にそびえ立つ山々(フィッツロイ)や、海に流れ込む巨大氷河(ペリト・モレノ)が、これぞ秘境という景色だったからである。しかし、その地を訪れるという夢は、何十年たっても実現しなかった。理由は簡単だ。萩原朔太郎ではないが、「パタゴニアへ行きたしと思へども、パタゴニアはあまりに遠し」である。実際、某旅行会社のパタゴニア旅行のパンフレットには、以下のように書かれている。「日本からの直行便がないため、アメリカもしくは中東経由でアルゼンチンのブエノスアイレスへ。そこから国内線に乗り継ぎ、最寄りのエル・カラファテ空港へ (所要時間約36時間)。エル・カラファテ空港からフィッツロイの麓の街エル・チャルテンまでは車で3時間程度」──丸2日がかりという、気の遠くなるような長旅である。

「もっと身近で、パタゴニアに近い風景はないか?」と考え、自分なりに出した答えは、いずれも世界自然遺産であるニュージーランド南島(ミルフォードサウンド)か、イタリア・アルプスのドロミテ(Dolomiti)だった。ミルフォードサウンドであれば、東京から最寄りのクイーンズタウンまで約15時間のフライトで行けるので、かなり旅行の難易度は下がる。しかし今回は、たまたま手にした旅行パンフレットで「ドロミテをトレッキング・ハイキングで巡る旅」という魅惑的なツアーを発見し、すぐに参加することを決めた。数年前から「足が丈夫なうちに、世界をハイキングして回りたい」という気持ちを抱いていたからである。

結論から言えば、ドロミテもパタゴニアと変わらないほどの長旅であったが、パタゴニアに匹敵する絶景の連続だった(実際にパタゴニアに行ったことはないが)。今回の旅では、ドロミテ観光の拠点であるイタリアのコルティナ・ダンペッツォに加えて、オーストリアの二大都市であるザルツブルクとインスブルックも訪問したので、それらの都市の様子も含めて旅を振り返ってみたい。

2.ところで、ドロミテってどこ?

旅の出発点は成田空港。搭乗したのはエミレーツ航空のエアバスA-380(ジャンボを超える史上最大の旅客機)である。ドバイまでが10時間、同空港で4時間の乗り継ぎ待機の後、ミラノまでが6時間の飛行であった。途中、トルコの黒海沿岸を飛行したが、「この北側にクリミア半島があり、戦争が行われているのか」と思うと、複雑な気持ちになった。というわけで、日本を出てから20時間。ようやく目的地のミラノに到着。ほっと一息……とはいかず、そこから間髪を入れずにツアーバスに乗り込み、約320キロ(東京-仙台間に匹敵)離れたアルプス山麓のボルツァーノ(ドイツ語ではボーゼン)という市まで4時間半かけて移動した。ホテルに入ったのは現地時間の18時であった。日本の自宅を出てから実に30時間が経過しており、半ばもうろうとした頭で「パタゴニアと変わらない遠さだ」と感じたものだ。

ドロミテはなぜか日本では知名度が低く、旅行前に「どこですか?」と聞かれることが多かった。地理的には、ベネチアの真北150キロ、またはミュンヘンの南南東の150キロに位置する、イタリアとオーストリアにまたがるアルプス山脈の東部であり、「チロル」と呼ばれる地域と概ね一致している(図1)。この地域には、今回宿泊した冬季オリンピック開催地であるコルティナ・ダンペッツォ(1956年・2026年開催)とインスブルック(1964年・1976年開催)があり、世界有数のウィンタースポーツのメッカである。なお、ドロミテとは対照的に、日本では誰もが知っているスイスのマッターホルンやユングフラウヨッホは、ドロミテからずっと西、300キロ以上離れた地点にある。

【図1】欧州の中のドロミテの位置

【図1】欧州の中のドロミテの位置
(出典:ChatGPTにて作成)

3.息をのむ絶景の数々

ボルツァーノ宿泊で長旅の疲れを取った翌朝から、いよいよ絶景ツアーの始まりである。まず訪れたのはポルドイ峠。ロープウェイで上った標高2,200mの場所は、「地球離れした景色」で知られている。下界から遠く離れた地上の楽園のようなポルドイ峠だが、そこは第一次世界大戦(1915-1918年)の戦場となり、多くの命が失われた悲劇の地でもある。ロープウェイ乗り場の横に戦争博物館があるのは、そのためである(冒頭写真1、2)。

【写真2】ポルドイ峠のロープウェイ頂上から見た景色

ドロミテツアーの魅力は、目的の観光地に行くまでの山岳道路に、絶え間なく絶景(切り立った山々)が現れることである。今回はバスでの移動時間が長かったが、それを見ているだけで飽きることはなかった(写真3)。

【写真3】移動中のバスの車窓の光景

【写真3】移動中のバスの車窓の光景

また、牧場と教会に象徴される牧歌的な村々が次々と現れるので、『アルプスの少女ハイジ』の舞台を巡っているような気分を味わえる。しかし、単にのどかなだけではなく、その背後に想像を超える威容を持つ山塊が迫っているという、このコントラストこそがドロミテの醍醐味である(写真4)。

【写真4】フネス谷のサンタ・マッダレーナ村とガイスラー山塊

【写真4】フネス谷のサンタ・マッダレーナ村とガイスラー山塊

4.歩いて体験するドロミテ

今回のツアーの売りは「歩いて体験するドロミテ」であった。その中でも、最も絶景として知られる「トレチーメ(Tre Cime)」のハイキングがハイライトである。トレチーメはイタリア語で「3つの頂き」を意味し、その名の通り、苦灰岩(ドロマイト)が浸食されてできた3つの絶壁の山が競い合うように並んでいる(写真5)。その麓(とはいえ標高2,300m)を往復3時間かけて歩くのを楽しみにしていたのだが、あいにくの雨で傘を手放すことができなかった。とはいえ、時折姿を見せる奇岩の山々の光景は、まさに「地球離れ」したものであった。

【写真5】トレチーメ(Tre Cime)の切り立った山々(標高差500m)

【写真5】トレチーメ(Tre Cime)の切り立った山々(標高差500m)

アルプスの花といえば、エーデルワイスである。筆者は、アルプスの高山地帯ではあちこちに咲いているとイメージしていた。しかし、実際にはその姿を見るのは容易ではない。高山植物が生い茂る、標高2,000mを越えるトレチーメの登山道でも、ほとんど見かけなかった。そのため、現地ガイド(イタリア人)が「私だけが知っている生息地がある」と言って、道を少し外れた岩の裏に咲くエーデルワイスを教えてくれた。しかし、その数はほんの2、3本であった。その希少さを目の当たりにしたこともあり、下山後に立ち寄ったミズリーナ湖畔のみやげ物店では、飾られていたエーデルワイスの押し花の額を迷わず購入したのであった。

この湖も非常に有名な観光地であるが、周囲を1時間半かけてハイキングする余裕があり、人の少ない自然遊歩道を満喫することができた。写真中央の壮麗な建物はホテルのように見えるが、実は気管支ぜん息を患う子どもたちのための治療院(サナトリウム)とのことだった(写真6)。少し悲しい話だが、それほど空気が澄み渡っている証でもある。全快して退院した子どもも多いことだろう。この湖は1956年のコルティナ・ダンペッツォ冬季オリンピックのスピードスケート会場としても知られている(自然会場はこれが最後であった)。

【写真6】ミズリーナ湖と小児サナトリウム

【写真6】ミズリーナ湖と小児サナトリウム

5.三都物語(コルティナ・ダンペッツォ、ザルツブルク、インスブルック)

以下では、今回の旅で宿泊した3つの街について書いてみたい(初日宿泊のボルツァーノは経由地のため省略)。

(1)冬季五輪の街、コルティナ・ダンペッツォ

【写真7】コルティナ・ダンペッツォ市内のクラシックカーレース

【写真7】コルティナ・ダンペッツォ市内のクラシックカーレース

ドロミテ観光の中心的な街がコルティナ・ダンペッツォである。2026年2月の冬季オリンピックをミラノと共同開催する場所として、近年マスコミにも登場する機会が多い。ここは、もともと欧州の富裕層が集まる高級リゾート地であり、夏は避暑地として、冬はウィンタースポーツの拠点として常ににぎわっている。定住人口は約5,000人と小さな街だが、名だたる高級ブランド店が軒を連ねており、落ち着いた中にも華やかな雰囲気が漂っていた。我々の滞在時にはクラシックカーのレースの出発地点となっており、色とりどりの珍しい車が通りを埋め尽くしていた(写真7)。この街も背後にはアルプスがそびえ立っており、その景色は一生忘れられないほど印象的なものであった。宿泊したのは、かつて郵便局が経営していた「ポストホテル」であり、古色蒼然とした内装と旧式の家具類(部屋のカギは大きくて重い真鍮製)が懐かしい気分を抱かせてくれた。このようなポストホテルを、旅行中あちこちの街で見かけたものだ。

(2)音楽の聖都、ザルツブルク

コルティナの次に宿泊したのがザルツブルクである。この街の名前を聞いて、日本人は何を連想するのだろうか。やはり、真っ先に浮かぶのはモーツァルト生誕の地であるということだろう。ほかにも「音楽祭」、「カラヤン生家」、「ホーエン・ザルツブルク城」、「ミラベル宮殿」、そして、映画『サウンド・オブ・ミュージック』などがキーワードとして挙げられる。同映画は実話をもとにしているが、主演がイギリス人(マリア役のジュリー・アンドリュース)とカナダ人(その夫役)によるアメリカ映画であるためか、オーストリア人には意外と観たことのない人が多いそうだ。しかし、映画に感動してこの地を訪れる海外観光客は後を絶たず、市内には「聖地巡り」バスツアーの乗り場もあった。ミラベル宮殿では映画のポーズで写真を撮る人や、「ドレミの歌」を家族で合唱して、それをタイマーで動画撮影する光景も見かけた。実は、筆者は今回の旅行の予習として、初めてこの映画を観たのだが、エーデルワイスを歌うのが男性であったことに驚いた(曲調から、女性が歌う曲だと勝手に思い込んでいた)。

ザルツブルクは小さな街である。写真は夕食を取ったレストランからの撮影だが、ここに写っている光景に街の中心の大半が収まっている(写真8)。この丘の真下から写真の左斜め上方向に延びる細い道が、モーツァルトの生家もある最大の繁華街、ゲトライデ通りである。ゆっくり歩いても30分ほどで見て回れる、こぢんまりとした商店街だが、何とも言えない趣がある。右の丘の上にそびえるのがホーエン・ザルツブルク城(王ではなく大司教の居城)、その下の教会群の中には、『サウンド・オブ・ミュージック』でマリアがいたノンベルク女子修道院がある。川の左岸下方に見える横長の白い建物が、ザッハトルテで有名なホテル・ザッハーであり、その向かって左側にカラヤンの生家、さらにその左奥にミラベル宮殿が位置している。

【写真8】レストランから見たザルツブルク市街

【写真8】レストランから見たザルツブルク市街

(3)チロル地方の中心、皇帝の街インスブルック

最後の宿泊地はインスブルックである。日本では、ザルツブルクに比べると知名度はだいぶ低いかもしれない。人口15万の小都市ということもあるが、実は13万のザルツブルクよりは多いのだ。やはり一芸いや二芸(音楽+映画)に秀でた者にはかなわない。しかし、オーストリア国内や欧州内での知名度は非常に高い。その理由は、古くからチロル地方の「首都」として栄え、ハプスブルク帝国の王にして神聖ローマ皇帝のマクシミリアン1世(15~16世紀)や、マリー・アントワネットの母であるマリア・テレジア神聖ローマ皇后(18世紀)に愛された街であり、数多くの由緒ある華麗な建造物に彩られているからである。その中で最も有名なのは、マクシミリアン1世と皇妃の結婚を祝って建造された「黄金の小屋根」であり、そこを中心とする旧市街は観光客でいつもにぎわっている(写真9)。また、2回の冬季オリンピックの開催からも分かるように、欧州のウィンタースポーツの「首都」とも呼ばれている。この街も、コルティナと同じく、2,000m級の山々に囲まれており、曇り空が晴れてその威容が姿を現した時の感動は、写真では再現できないほどであった。今回、改めて痛感したのは、「人間の目は素晴らしい」ということである。

6.最後にITの話を少々

(1)今回の旅行にも、これまでと同じく空港レンタルのモバイルルーターを持参した。eSIMの存在は知っていたが、複数のスマホやタブレット端末を使うため、ルーターの方が安いと思ったからである。しかし、帰国後に改めて価格を調べてみると、オーストリア8日間(ギガ無制限)で、ルーターが12,000円(1台)、eSIMが13,000円(2枚分)であり、端末が2台までなら大きな差はなかった。今回のツアー参加者の中にも、70歳代でeSIMを使っている人がいた。次回はぜひトライしてみたいと思う。

【写真10】ホテルの部屋の撤去された電話と代わりのVoIPアプリのQRコード

【写真10】ホテルの部屋の撤去された電話と代わりのVoIPアプリのQRコード

(2)ザルツブルクのホテルでは、部屋の電話機が撤去されており、その跡にはVoIP用のQRコードが貼られていた(写真10)。カメラで読み取ると、イラストのロゴのとおり、日本人には馴染みの少ないSNSのWhatsAppメッセンジャーであった。そんな時に限って、運悪く備え付けのドライヤーが故障してしまった。この電話アプリのダウンロードとセットアップが面倒だったため、フロントまで出向く羽目になったが、スマホのドイツ語翻訳機能のおかげで一発で話が通じた。シニアにはハードルの高い世の中になりつつあるが、2007年にスマホが登場した時に壮年(40代半ば)であった人たちが間もなく高齢者(65歳)になる時代である。今後は戸惑う人もぐっと減っていくことであろう。

(3)現地でYahoo!ニュースを見ようとすると、写真のように「2022年4月6日(水)よりYahoo!JAPANは欧州経済領域(EEA)およびイギリスからご利用いただけなくなりました」というメッセージが表示された(写真11)。その理由は詳細には説明されていないが、EU(欧州連合)の個人データ保護法(一般データ保護規則〔GDPR〕)が大きな要因の一つであろう。EUはIT企業(プラットフォーム事業者)に対する規制が非常に厳しく、被規制者(IT企業)は「利用者の利便性が低下する」と反論しているが、それを物語る体験であった。以上、ドロミテアルプスおよび3都市の旅を振り返ってきたが、天気がいまひとつだったこともあり、また再訪(リベンジ)したいと考えている。それほど素晴らしい場所だったので、読者の方々にもぜひ訪問をお勧めしたい。

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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