2025.5.29 ITトレンド全般

DeepSeekの台頭と通信事業者への影響

はじめに

2024年末、中国の新興AI企業DeepSeek社が発表した大規模言語モデル(LLM)「DeepSeek-V3」は、OpenAIのモデルと同等の性能を持ちながら、モデルの訓練コストを大幅に削減し、市場に衝撃を与えた。訓練はNVIDIAのH800チップわずか2,048枚をで行われ、総コストはOpenAIモデルの約 1/12と推定される558万米ドルであった。同社のモデルの発表により、半導体大手NVIDIAの株価が急落するという「DeepSeekショック」も発生した。本稿では、DeepSeekが注目される理由について分析した上で、その産業界における利活用動向および通信事業者による採用の取り組みについて考察する。

DeepSeekが注目される理由

DeepSeek社は、クオンツ運用会社「幻方量化(High-Flyer)」のインキュベーションにより、2023年7月17日に中国・杭州市に設立され、先端LLMの研究開発と応用に特化している企業である。2024年1月に初代モデル「DeepSeek LLM」を発表して以降、同年5月に「DeepSeek-V2」、12月に「DeepSeek-V3」、2025年1月には「DeepSeek-R1」などと、低コストかつ高性能のモデルを次々と発表した。同社が公表した「DeepSeek-V3 Technical Report」によれば、「MMLU(Massive Multitask Language Understanding)」など、LLMの性能を評価する各種ベンチマークテストにおいて、「DeepSeek-V3」はGPT-4やClaude3.5 Sonnetなどの競合モデルを上回るパフォーマンスを達成している。また、「DeepSeek-V3」のパラメータ数は6,710億あるが、モデルの訓練には278.8万GPU時間しかかかっておらず、使用されたH800 GPUのレンタル料金を2ドル/GPU時間と仮定すると、総訓練コストは約558万ドル(表1)となっている。これは、OpenAI による「GPT-4」モデルの訓練コストの約1/13と推定されている(図1)。

【表1】DeepSeek-V3の訓練コスト

【表1】DeepSeek-V3の訓練コスト
(出典:Liu, Aixin, et al. "DeepSeek-V3 Technical Report." arXiv preprint arXiv:2412.19437 (2024). https://arxiv.org/pdf/2412.19437をもとに作成)

【図1】主なAIモデルの推定訓練コスト

【図1】主なAIモデルの推定訓練コスト
(出典:Stanford HAI, ”Artificial Intelligence Index Report 2025,” https://hai-production.s3.amazonaws.com/files/ hai_ai_index_report_2025.pdf,
Liu, Aixin, et al.”DeepSeek-V3 Technical Report”をもとに作成)

DeepSeekの低コスト・高性能のモデルは、主に次のような技術の採用により実現された。

  • MoE(Mixture of Experts):MoEアーキテクチャを採用し、複数の専門家モデルを組み合わせて効率的に学習と推論を行う。
  • FP8(8-bit floating-point format)混合精度訓練:低精度と高精度の演算方法を組み合わせて利用することで、演算効率と精度のバランスを改善し、訓練速度を向上する。

また、2025年1月に発表された最新モデル「DeepSeek-R1」は、従来の生成AIに比べ、推論過程が完全に透明であるという画期的な特徴を備えている点も注目されている。

さらに、同社はオープンソース戦略を通じてAI技術の民主化を加速させることを目指しており、モデルの構造や技術手法を積極的に公開している。2025年2月24~28日まで開催された同社のオープンソースウィークにおいては、FlashMLA[1]やDeepEP[2]など複数のAI技術がオープンソース化された[3]。

DeepSeekのビジネスモデル

同社のビジネスモデルは、Webサービスやアプリへのアクセスを無料とした上で、APIサービスをコア収入源としている。モデルの訓練などに要するコストを大幅に抑えられたことにより、APIの価格を主要他社モデルより低く設定し、コストパフォーマンスに優れた生成AIサービスとして市場を拡大している。また、DeepSeek-V3/R1のオンラインサービスの統計データ(北京時間2025年2月27日午後12時~28日午後12時)によれば、すべてのトークンをDeepSeek-R1の価格で請求した場合、1日の総収益は56万2,027米ドル、利益率(対コスト)は545%になる。ただし、DeepSeek-V3の価格はR1よりも大幅に安く、一部のサービスのみが収益化されるなどの要因により、実際の収益はこれを下回ると考えられる。

企業ユーザー向けには、API利用サービスのほかに、第三者ベンダーを通じたオンプレミスソリューションも提供されている。APIよりも導入コストが高額になるが、安定性やセキュリティの確保、自社業務にカスタマイズしたモデルの利用といったメリットから、一定の導入事例も見られる。

一般ユーザー向けサービスについては、2025年1月11日にDeepSeekアプリもリリースされ、3月時点の月間アクティブユーザー数が7,701万に達するなど急速に普及している。

産業界における利活用動向

DeepSeekの低コストかつ高性能のモデルは生成AI導入のハードルを大幅に下げ、産業界における生成AIの利用拡大を加速させている。中国では、金融、行政、自動車を始め、様々な業種においてDeepSeekが導入されている。

金融分野

江蘇銀行はDeepSeek-VL2マルチモーダルモデルとDeepSeek-R1推論軽量モデルを導入し、契約のチェックや勘定照合、融資審査などの業務に使用しており、人的作業を削減することに成功した[4]。また、北京銀行はHuaweiやJD Cloudとの連携でDeepSeekモデルを導入し、レポート作成、カスタマーサポート、コンプライアンスチェックなど業務効率化を図っている[5]。

行政分野

深圳市政府は2025年2月にDeepSeek-R1モデルを導入し、組織全体で操作研修を実施しており、公文書の作成や処理などの行政業務全般へのAI活用を推進している[6]。

自動車分野

BYDや吉利などの国産メーカーはDeepSeekを車両に統合しており、車内外の様々な環境に合わせたユーザーの潜在ニーズを分析し、車両制御、対話、アフターサービスなどのスマート体験を提供している[7]。海外メーカーによる導入も進んでおり、2025年4月の上海モーターショーでは、BMWのCEOツィプセ氏が、2025年内に中国で販売中、および、今後販売予定の新車にDeepSeekを導入することを発表した。深層思考能力を通じて、BMWスマートアシスタントを中心としたヒューマンコンピューターインタラクション体験を提供する予定だという[8]。

Hondaも同モーターショーにおいて、中国市場向けEV「烨(イエ)」シリーズの車内サポートにDeepSeekのAI技術を全面的に導入し、より快適で楽しい車内環境の実現を目指すと発表した[9]。

通信事業者によるDeepSeek採用の取り組み

中国の通信業界においても、DeepSeekの導入が急速に進展している。近年、通信事業の成長鈍化やDX需要増などを背景に、中国の通信事業者はクラウドサービスなどDX関連の事業の成長機会を探っている。中国電信、中国移動、中国聯通の主要3社は2025年2月に相次いでDeepSeekを自社のクラウドサービスに統合することを発表し、クラウド事業の競争力強化を図っている。

中国電信は自社のAIクラウドコンピューティングプラットフォーム「息壌」において国産チップとDeepSeek-R1/V3モデルを統合し、通信事業者として初めて完全国産のDeepSeek推論サービスプラットフォームの提供を開始した。ハードウェアから推論エンジン、モデルサービスまでの国産化を実現し、企業データの安全性とコンプライアンスを確保できる。また、DeepSeekのフル機能版から軽量モデルまでを展開し、導入側のニーズに柔軟に対応できるようにしている。

中国移動は自社のクラウドプラットフォーム上でDeepSeek全モデルに対応し、即時デプロイ可能な環境を提供している。また、自社のクラウドパソコン製品にもDeepSeekを統合し、ユーザーがDeepSeek搭載オプションを選択できるようにしている。さらに、全国13カ所のAIデータセンターで専用のGPUクラスターを運用しており、高性能なAI演算インフラを構築している。

中国聯通は全国270カ所のクラウド拠点に「星羅」プラットフォームを展開し、それを基盤として様々な仕様のDeepSeek-R1モデルの導入を実現し、多様な利用シーンに対応している。同社も自社のクラウドパソコン製品にDeepSeekを統合し、オフィスや教育などの利用シーンをターゲットとしたサービス展開を進めている。

まとめ

DeepSeekは革新的な技術アプローチで実現した低コスト・高性能なモデルを強みに、AI市場での存在感を急速に高めている。既に中国では、金融や行政、自動車などの幅広い産業で導入が進んでいるが、通信大手3社もDeepSeekを全面採用し、その影響力はさらに拡大しつつある。また、通信事業者とDeepSeekの協業は、双方にとって戦略的な意義を持つ取り組みとなっている。DeepSeekにとっては、通信事業者の巨大な顧客基盤と事業領域を活用することで、自社モデルの活用領域とユーザー数の更なる拡大が見込める。また、通信事業者が保有する強力な演算リソースは、DeepSeekのモデルの訓練や推論をサポートし、効率性と性能を向上させる。さらに、DeepSeekは大量の利活用データとユーザーのフィードバックを獲得することができ、これらはモデルの進化に有益である。通信事業者にとっては、DeepSeekのAI分野における技術的蓄積は、通信事業者のAI能力の不足を補完し、クラウド製品の革新や差別化による競争力向上を可能とする。

DeepSeekと通信大手3社の連携は、国産AIエコシステムの強化とデジタルインフラの国産化をも加速させる動きとなるだろう。今後も両者の連携が深まり、より多くの産業向けソリューションが創出されることが期待される。

[1] NVIDIAのHopper GPU向け高効率MLA(Multi-head Latent Attention)デコーディングカーネル

[2] MoE(Mixture of Experts)モデル向けEP通信ライブラリ

[3] https://github.com/deepseek-ai/open-infra-index/ blob/main/202502OpenSourceWeek/day_6_one_ more_thing_deepseekV3R1_inference_system_ overview.md

[4] http://www.news.cn/money/20250218/e1b300 692bcb4e04ac0f2edf0a7fbb38/c.html

[5] https://www.21jingji.com/article/20250217/ herald/55f4a2a763d05aec8ca7dc7baa65716d.html,  https://www.stcn.com/article/detail/1574348.html#:~:text=%E5%8C%97%E4%BA%AC%E9%93%B6%E8%A1%8C%E5%88%99%E4%BA%8E2024,%E5%9D%87%E5%AE%A3%E5%B8%83%E6%9C%89%E6%89%80%E5%B8%83%E5%B1%80%E3%80%82

[6] https://xinwen.bjd.com.cn/content/s67b67e0be4 b068c68f1005a0.html

[7] https://www.yicai.com/news/102464150.html

[8] https://www.sohu.com/a/887909840_492516

[9] https://global.honda/jp/news/2025/4250423. html

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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