2023.7.13 InfoCom T&S World Trend Report

世界の街角から:アドリア海の真珠をたずねて ~ドゥブロヴニクとボスニア・ヘルツェゴヴィナの旅~

Image by Ivan Ivankovic from Pixabay

いつかは行ってみたいと思っていたクロアチア。なかでもドゥブロヴニクは、1979年に旧市街が世界遺産に登録された中世の面影を残す美しい街。

今回はドゥブロヴニクから、隣国ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタル、ポチテリへの旅をご紹介したい。

ドゥブロヴニク

ドゥブロブニクはクロアチア南部に位置し、アドリア海に面した小さな港町。紺碧の海を背景にオレンジ色の屋根が連なるその街並みは「アドリア海の真珠」と呼ばれる美しさであり、『紅の豚』や『魔女の宅急便』などのジブリ映画や、テレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』等の舞台としても有名で、世界中から観光客が訪れる(写真1)。

【写真1】ドゥブロヴニク全景

【写真1】ドゥブロヴニク全景
(出典:文中掲載の写真はすべて筆者撮影)

ドゥブロブニクとはスラブ語の名称で、ラテン語ではラグーサ。中世においてはラグーサ共和国と呼ばれ、海洋交易の拠点として繁栄し発展を遂げた。街は強固な城壁に守られ、美しい姿を長くとどめてきたが、1667年の大地震や、1990年代のユーゴスラビア内戦により壊滅的な被害を受けた歴史を持つ街でもある。

現在は、ドゥブロブニクの人々の懸命な努力とUNESCOの支援により元の美しい街並みに戻り、歴史の重みと同時に、戦争の愚かさを伝える世界遺産にもなっていると言えよう。

では街のみどころをご案内します!

城壁・ミンチェタ要塞

旧市街は、中世に街の防護のために作られた高さ25m、広い所では幅6mもある城壁で囲まれており、西のピレ門、北のブジャ門、東のプロチェ門の3カ所から中に入る。城壁は約2kmにおよび、城壁の上を歩いて散策することができ、街を上から眺めることもできる。北の角にあるのがミンチェタ要塞で、そこからはまさに街が一望でき素晴らしい景色が堪能できる(写真2、3)。

【写真2】城壁

【写真2】城壁

【写真3】ミンチェタ要塞からの眺め

【写真3】ミンチェタ要塞からの眺め

城壁ウォークは1~2時間。入退場できる場所が数カ所あるので、時間と体力に合わせてチャレンジできるが、できれば1周するのがおススメ。美しい街並みと青い海、沖に浮かぶヨットを眺めながら、のんびり散策するのはとても気持ちがよく、路地を覗けば人々の日常を垣間見ることもできる(写真4)。

【写真4】路地裏の風景

【写真4】路地裏の風景

聖イグナチオ教会

旧市街で一番大きな教会。広場から階段を上がったところにある様子は、『ローマの休日』で有名なスペイン階段とフランス教会を想起させる。イエズス会の建築家イグナチオ・ポッツォによって17世紀に建てられた。左手に続く建物はイエズス会の学校になっている。内部は大理石の柱と美しい漆喰の装飾が素晴らしく、スペイン出身のガエタナ・ガルシアのフレスコ画が一面に描かれた祭壇に目を奪われる(写真5、6)。

【写真5】聖イグナチオ教会

【写真5】聖イグナチオ教会

【写真6】祭壇

【写真6】祭壇

フランシスコ修道院

元々修道院は城壁の外にあったが、14世紀初頭、戦争の脅威にさらされたため、1317年に城壁の中となる現在の位置で建設を始め数年をかけて完成された。美しい回廊はロマネスク様式で当時の面影をとどめる貴重な文化遺産となっているが、1667年の大地震、1900年代の内戦により大きな被害を受け、その傷跡が残る建物でもある(写真7)。

【写真7】修道院全景

【写真7】修道院全景

総督邸

ラグーサ共和国時代の総督の邸宅。共和国であったラグーサは形式上の総督を置くことで、ヴェネツィア、ハンガリー、オスマントルコ等の地中海列強諸国から独立を守っていた。その時代の象徴的建物で、総督の住居であると同時に、評議会、裁判所、行政府等が設置された政治の中枢であった。この建物も1667年の大地震で被害を受け修復を重ねたことにより、ゴシック、ルネサンス、バロックの様式が混ざったものとなっており、中庭の階段や回廊の装飾が美しい。現在、内部は文化歴史博物館として活用され、ラグーサ当時の栄華を示す展示物をことが見ることができる(写真8~10)。

【写真8】総督邸

【写真8】総督邸

【写真9】中庭階段

【写真9】中庭階段

【写真10】評議会室

【写真10】評議会室

サンセットクルーズ

もう一つのぜひお薦めしたいのが海から街を見るクルーズ。港から様々な船が出ている。城壁に囲まれた街の様子がよくわかり、透明度の高い美しいアドリア海の景色も楽しめる。キラキラとした陽射しの下のクルーズもいいが、だんだんと日が落ちて、空と海の色が変わっていくサンセットクルーズは幻想的で素晴らしい。当日はちょうど天気もよく、美しい夕焼けを見ることができた(写真11)。

【写真11】クルーズ

【写真11】クルーズ

ヨーロッパの夏は日が長く、20時過ぎまで明るく、夜はこれから!

ドゥブロブニクは治安もよく、夜の街歩きも楽しめる。旧市街の真ん中を東西に走るプラツァ通りは、元は水路だった場所を埋め立てて作られたメインストリート。常に地元の人や観光客でにぎわっており、おしゃれなレストランやカフェ、お土産物屋等が軒を連ねる(写真12)。

【写真12】夜のプラツァ通り

【写真12】夜のプラツァ通り

クロアチアは料理も美味しい。新鮮なシーフードはもちろん、カジュアルな店からミシュラン星付きまで、様々なレストランでバラエティに富んだ食事が楽しめる。また、最近は日本にも入ってくるようになったが、隠れたワインの名産地でもあり、美味しいワインが手ごろな価格で味わえるのも魅力的(写真13)。

【写真13】夕食はクロアチアワインと共に

【写真13】夕食はクロアチアワインと共に

お腹を満たしたところで、夜景を見にロープ―ウェイでスルジ山の山頂へ。標高412mの低めの山で、街のすぐ北側に位置しており、眼下に旧市街と港を望むことができる。日中の景色も美しいが、夜景もお見逃しなく(写真14、15)。

【写真14】展望台からの夜景

【写真14】展望台からの夜景

【写真15】夜景

【写真15】夜景

モスタル

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの古都で、ドゥブロブニクからの日帰りツアーでも行くことができる。エメラルドグリーンの川と石造りの街が美しい。川の東側はイスラム系住民が多く住む地域、西側がクロアチア系となっており、街の雰囲気も両岸で異なるのが特徴的(写真16)。

【写真16】モスタル全景

【写真16】モスタル全景

1990年代のボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦により街は破壊され、特に西側のイスラム系住民が多い地域には現在でも銃弾や爆破の傷跡がある建物が残されており、当時の歴史を今に語り継ぐ街でもある(写真17、18)。

【写真17】破壊された建物

【写真17】破壊された建物

【写真18】街中に残る墓地

【写真18】街中に残る墓地

スターリ・モスト

モスタルにある全長30mの石造りの橋で、16世紀に架けられた。中心が高くなっている湾曲した構造で、下を流れるネレトヴァ川からの高さは24mある。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦中、1993年11月に破壊されたが、内戦終結後、復興が進められ、2005年にボスニア・ヘルツェゴヴィナ初の世界遺産に登録された。現在、スターリ・モストは、東側のイスラム系地区と、西側のクロアチア系地区をつなぐ橋として、悲しい歴史を超えた平和の象徴として存在している。

また、橋の上から川に飛び込むのが町の若者たちの伝統行事になっている。最も古い記録では1664年から行われているそうだが、ネレトヴァ川は世界でも水温が低い川とされており、飛び込みは危険を伴うため訓練を積んだ人だけが挑戦できるとのこと。ちょうど、3人の若者が飛び込む姿を見ることができたが、あの高さから飛び込むのは恐ろしいくらいの迫力で、水から上がってくるまで本当に大丈夫なのか心配でならなかった。毎年夏には公式な飛び込み大会も開催されており、モスタルの名物となっている(写真19、20)。

【写真19】スターリ・モスト

【写真19】スターリ・モスト

【写真20】橋から飛び込む若者

【写真20】橋から飛び込む若者

ポチテリ

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ南部の村。16~17世紀にかけてネレトヴァ川の川沿いに発展した要塞都市で、オスマン帝国時代の建物が多く見られる。かつては南東ヨーロッパで最古のアート・コロニーであり、多くの芸術家に創作活動の場を提供してきた場所でもあった。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦中の1993年にクロアチア武装勢力により大規模に破壊され、歴史的なイスラム建築は爆破、イスラム教徒の住人は殺害されるか強制収容所に送られるという民族浄化の標的となった悲惨な歴史を持つ村でもある。

現在は古い街並みが復興し、美しい石造りの街として人気の観光地となっている。モスタルから約30kmということもあり、ドゥブロブニクやモスタルから日帰りで訪れる人が多い(写真21~26)。

【写真21】イスラム学校跡

【写真21】イスラム学校跡

【写真22】モスク

【写真22】モスク

【写真23】ガブラぺタン塔

【写真23】ガブラぺタン塔

【写真24】ポチテリの街角

【写真24】ポチテリの街角

【写真25】ポチテリの青の洞窟

【写真25】ポチテリの青の洞窟

【写真26】川沿いのレストラン

【写真26】川沿いのレストラン

破壊から復興へ

クロアチアのドゥブロブニク、ボスニア・ヘルツェゴヴィナのモスタル、ポチテリと3つの街を紹介したが、いずれも美しい街並みが印象的で心奪われる場所である。一見すると、のどかな南ヨーロッパのリゾート地や観光遺跡にしか見えないかもしれない。しかし、この3つの街に共通するのは、ソ連崩壊から始まるユーゴスラビア解体の過程において起きた、クロアチア独立戦争やボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦による大きな被害を受けた悲惨な歴史を持つ街であること。それは遠い過去の話ではなく、まだ30数年しか経っていない新しい記憶だ。

現在でも街のそこかしこに当時の傷跡は残っているが、人々の多大なる努力により街は復興し、世界中から人が集まる魅力的な姿を取り戻している。

そして今この瞬間もウクライナをはじめ、世界中で戦争や内紛が起こり、街は破壊され、生命の危機にさらされている人々が多く存在する。

ドゥブロブニクやモスタル、ポチテリが見事な復活を果たしたように、一日も早く戦争が終結し、それらの国々に平和が戻り復興を遂げることを願ってやまない。

※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。

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