日本の観光業の課題とDXの力
コロナ禍も3年となり、その間、人・モノの動きに大きな影響が出た。中でも人の移動により成立するとも言える観光業への影響は甚大であった。各国の水際対策の緩和が進み、少しずつグローバルな人流が回復してきてはいるが、コロナ前のレベルに戻るにはまだ一定の時間が必要であり、新たな変異株の出現や、新たな感染症の蔓延により、いつまた大きな影響を受けるかもしれないリスクが潜んでいることが顕在化した。また、新型コロナの影響のみならず、少子高齢化が進む世界においては、慢性的な人手不足や、旅行者の高齢化による旅行形式の変化も想定され、観光業は耐性を高め、状況に応じた機動的な対応を可能にすることが求められている。
本レポートにおいては、これら現状の課題と対応策について、観光DXの実例、進化の方向性の視点から考察する。
1.コロナ禍における観光産業の現状と潜在的課題
国土交通省の統計によると、2019年には全世界で14億7千万人であった観光客数が、全世界的な新型コロナの蔓延により、2020年は4億人と対前年比で70%近く減少することとなった(図1)。
日本においては、2016年3月「明日の日本を支える観光ビジョン」において、観光を成長戦略の柱、地方創生への切り札と位置付け、訪日外国人旅行者数の目標を2020年4,000万人、2030年6,000万人と設定し様々な取り組みを推進していた。その成果もあり、2019年には3,188万人と7年連続で過去最高を更新したところであったが、新型コロナ水際対策の影響により、2020年の訪日外国人旅行者数は412万人、2021年に至っては25万人まで減少した(図2)。
旅行者数の増加に比例して、消費額も順調な伸びを示し、2019年には過去最高額となる4兆8,135億円にまで成長していたが、2021年は1,208億円にとどまった(表1)。
国内観光においても、2021年の国内宿泊旅行者数は延べ1億4,177万人と、前年比11.8%減、2019年比54.5%減となり、日帰り旅行者数も延べ1億2,644万人、前年比4.7%減、2019年比54.1%減と宿泊旅行、日帰り旅行ともに減少(図3)。消費額においても、2019年には21兆9,000億円まで成長していた市場規模が、2021年には9.2兆円(前年比7.9%減、2019年比58.1%減)と大幅な減となっている(図4)。
観光業界における課題は新型コロナによる影響のみではない。特に日本においては、少子高齢化が進むことにより、旅行者数自体が減少していくことが想定される。昨今、国内観光市場はアクティブシニアと言われる元気で経済的にも余裕のある高齢者が支えており、旅行の回数、消費金額ともに若年層を上回っている。しかしながら、日本の高齢化率(65歳以上の総人口に占める割合)は2022年時点で既に29.1%であり、2050年には38%になることが想定されている。また、最近はかなり高齢でも健脚で旅行を楽しむ人も増えてはいるが、一般的には80歳を超えると外出率が低下し、消費額の減少が起こる。2040年には総人口の14.2%が80歳以上になることを踏まえると、このままでは市場規模が縮小すると想定される(数値は国立社会保障人口問題研究所の推計値)。
また、業界内に目を向けると、少子高齢化の問題は業界の人出不足にもつながる。この3年の間に、余剰となった人員を削減したホテル、旅館、飲食店も多く、観光客が戻ってきても対応できる人員が揃わないという事態が既に発生している。元々、労働時間が長く、相対的に低い賃金水準の業界であることから、若い人材が少なく、労働者自体の高齢化が進んでいたところに、新型コロナを機に退職や解雇が進み、人手不足が深刻化している。また、清掃等の業務においては、コロナ前から外国人労働者に頼る状況であった。しかしながら、日本の賃金が長年にわたり上がっておらず、世界的にみても低くなってしまった上に、急速な円安の影響により労働市場としての魅力が失われていることから、他国への流出が進み、新規に流入する人材の減少が危惧されていることも深刻な問題である。
このような状況下において、効果的に観光客を増やし、かつ少ない人員で効率的に対応できる新たな仕組みや、急激な市場の変化に対応できる耐性と柔軟性を持った持続可能な経営が求められており、その手段の一つとして観光DXは急務である。しかし現状はDXを推進できる人材の不足、基本的なシステム化への理解不足、システム投資負担増大等、解決をせまられる課題が山積している。
2.観光DXの進化
上述したように、様々な課題をかかえる観光業界であるが、比較的小規模な事業者が多いこともあり、これまでデジタル化があまり進んでいない業態であった。しかしながら、新型コロナという予期せぬ大きな荒波にさらされ、長期化したことで人々の意識が変化し、急速にDXへの気運が高まっている。
コロナ禍において観光を成立させるために重要であったのは、旅行者側と受入れ側、双方にとって安心感を持たせることであり、その状況を客観的データ情報として提供することが必要とされた(図5)。ウイルスが主として接触により感染することから、特に注目されたのが非接触に関連するICTである。観光施設等における混雑状況の可視化により密を避け、チケットの電子化、キャッシュレス決済・セルフチェックインシステムの導入により接触機会を最小化するソリューションは、旅行者/従業員双方に安心感を与える新たなスタンダードとして定着しつつある。
観光客への情報提供手段としては、これまでのホームページに加え、インスタグラム等SNSの活用が進んでいる。昨今、旅マエ/旅ナカでの情報収集はほとんどがSNSを通して行われており、旅の途中や終了後に観光客自身がアップする写真や情報が、次の観光客へのインプットとなっていくため、一方的な情報発信ではなく、観光客を巻き込んだSNSの効果的な活用が重要となっている。また、訪日外国人を念頭においた多言語対応も重要な課題であり、看板/案内表示などのハード面だけでなく、翻訳ツール等ソフト面での対応の拡充が急務である。
その他、移動が制限されたことにより、オンラインツアーという新たな手法が確立された点も特筆される。国内外の旅行会社や観光地が積極的にツアーを企画し、現地を熟知したガイドが案内をすることで臨場感のあるツアーを実現した。観光スポットの案内だけでなく、現地の食やワイナリー、伝統工芸の制作現場を紹介するものなども誕生した。ツアーに申し込むと、実際に自宅にワインや食材が送付され、それらを楽しみながらガイドを聴くという、リアルとオンラインのハイブリッド型ツアーも出現し人気を集めている。
このようなDXを活用した仕組みは、高齢者や障害を持った人、小さな子供がいて旅行が難しいファミリー等も気軽に参加できる新たな旅行体験を生み出した。また、今後もいつ発生するかわからないパンデミックへの、柔軟で機動的な対応を可能にする基盤として整備が望まれる施策であり、更なるサービス品質の向上と新しい技術の導入が期待される。
3.各種事例
ここからはテーマごとに代表的なDXソリューションをご紹介したい。
可視化ソリューション
混雑可視化ソリューション「VACAN AIS」
株式会社バカンが提供する狭域の混雑可視化ソリューション。AIカメラを天井等に設置することで店舗や施設の混雑状況を可視化し、画像データのAI解析によりその場にいる人数を算出するもの。カメラの設置場所によっては待ち時間の算出も可能となり、旅館の浴場や飲食店、催し会場などでの利用が実現されている(図6)。
(https://corp.vacan.com/ service/vacan-ais)
エリア混雑可視化ソリューション「宮島混雑マップ」
NTT西日本が広島県宮島で提供。厳島神社を中心とする島内の主要観光スポットとトイレ、フェリー乗り場周辺の道路と駐車場の混雑状況の見える化を実現。宮島は年間400万人以上が訪れる日本を代表する観光地であり、混雑への対応はコロナ前から課題であった。NTT西日本は産官学連携により、各ポイントに設置したカメラやセンサーを使い可視化(図7)。また、そこで得たデータから個人を特定できる情報を削除した上でクラウドに集約し、更なる地域活性化のための基本情報として提供している。
(https://www.ntt-west.co.jp/brand/ict/jirei/casestudy/ict_miyajima.html)
キャッシュレス
地域通貨「さるぼぼコイン」
2017年に飛騨信用組合がサービスを開始した岐阜県高山市・飛騨市・白川村の3つの自治体で使える地域限定電子通貨。2022年1月末時点でユーザー数約2万4,600人、加盟店舗数は約1,700店、累計決済額は約51億円規模に成長しており、初期の成功事例として知られている(図8)。
(https://www. hidashin.co.jp/coin/#)
多言語対応
宿泊施設用支援システム「Kotozna In-room」
JTBとKotozna社が提供する、スタッフと宿泊客の多言語コミュニケーションを円滑にするためのシステム。宿泊客自身のスマートフォンを活用し、「非接触」、「業務効率化」、「売り上げ拡大」、「多言語対応」等を同時に実現することを目指している。ゲストサービス、クーポンなど約10テーマ・60項目のメニューが提供可能であり、施設のニーズに合わせて対応メニューを自由にカスタマイズすることができる。ポストコロナも見据え、インバウンドが回復した後も接触機会をできるだけ減らして対応できる仕組み作りのサポートを目指す(図9)。
(https://www.jtbbwt.com/government/service/solution/inbound/preparation/kotozna-in-room/)
観光支援アプリ「JAPAN Trip Navigator」
JTBが提供する訪日外国人旅行者向け観光支援アプリ。ナビタイムジャパン、日本マイクロソフトと協業開発したもので、観光スポットやモデルプランの情報提供、チャットでのお困りごと対応など、AIを活用して提供。訪日外国人旅行者を24時間トータルサポートするサービス(図10)。
(https://www.jtbcorp.jp/jp/newsroom/2018/09/20180906_tripnavigator.html)
新たな観光形態の提供
オンラインツアー「VELTRAオンラインアカデミー」
VELTRAは元々、海外での現地ツアーの企画・提供を行っていたが、コロナ禍でツアーの催行ができなくなり、自宅で楽しめる新感覚の旅行スタイルとしてオンラインツアーを強化。配信はすべて現地からの生中継(一部アーカイブもあり)。ラインナップは、南米アマゾン川からのライブツアーをはじめ、世界の有名美術館に展示されている絵画の解説講座や、ハワイのフラダンスレッスンなど、ガイドとのコミュニケーションを重視した構成で、実際に現地に行きたくなるようなリアルな体験を目指している(図11)。
(https://www.veltra. com/jp/online/)
VR活用による観光案内「平泉タイムスコープ」
世界遺産に登録されている岩手県平泉の遺跡群をVRゴーグル内で再現するコンテンツ。平泉は中尊寺金色堂以外にも世界遺産の構成資産が7カ所あるが、ほぼ現存しておらず、回遊性も悪いことから平泉町が作成したもの。無量光院跡や柳之御所遺跡といった指定のスポットで使用すると、平安時代の平泉を体験することができる。
VRゴーグルをのぞくだけの簡単な利用方法により、幅広い年齢層へ対応。ガイドする人の習熟度合いや、訪問客それぞれの知識量の違いといった前提条件に左右されることなく、より直感的に歴史や文化を伝えられる仕組みとなっている。また言語切り替え機能により、訪日観光客への対応も可能(図12)。
(https:// hiraizumi-timescope.jp/)
4.観光DXの今後と方向性
観光業が日本のGDPに占める割合は間接効果まで合わせても4%程度と高くはないが(図13、14)、新型コロナの終息に伴い、大幅な訪日外国人旅行者の増加や、これまで我慢を続けていた日本人の旅行熱の高まりから、今後は急速な回復とコロナ前を超える拡大が見込まれる。直近の調査においても、日本は次に訪問したい国の第1位となっており(図15)、世界からの注目度も高い。
コロナ禍で観光業界が負った痛手は計り知れず、リカバリーは簡単ではないが、天然資源に乏しく、少子高齢化が急速に進んでいるこの国において、観光は重要な産業であり、日本経済を支える一つの柱となることが求められている。何より、美しい自然に恵まれ、長い歴史と伝統、素晴らしい食文化、おもてなしの心を持つ日本人のホスピタリティは、他国がうらやむ日本の資産であり、我々自身がその価値を再評価しなければならないのではないだろうか。
新型コロナがもたらした様々な変化は試練でもあるが、チャンスでもあり、今こそ既存の仕組みにとらわれず新たなニーズに的確に応えていくことが求められている。観光業界は人も資金も不足している厳しい状況下ではあるが、効率化を実現しつつ品質を保ち、更なる付加価値サービスを実現することは生き残りのためには避けられず、今こそDXへのチャレンジの時と言えよう。ソフトとハード、伝統と革新が調和した新たな日本の観光業の進化に期待したい。
※この記事は会員サービス「InfoCom T&S」より一部抜粋して公開しているものです。
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